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■vol.100 (2002年6月19日発行)
【賀茂美則】ワールドカップ放送裏話
【早瀬利之】全米オープンで知らされたギャラリー気質

☆☆ スポーツ書籍評 ☆☆

【中村敏雄】 『こうすりゃよくなる、日本のスポーツ』(2)

■ スポーツアドバンテージ 100号記念メッセージ ■

◇ワールドカップ放送裏話
(賀茂美則/スポーツライター)

ワールドカップが盛り上がっている。サッカー文化の成熟していない日本と韓国での大会ということもあって、序盤戦は盛り上がりに欠ける感もあったが、日韓両国の健闘もあり、まさに国を挙げての盛り上がりである。

昨年、コンフェデレーションズカップ大会の時にも書いたことだが、テレビの映像制作の裏には数々の苦労がつきまとう。筆者は組織委員会の放送チームに所属しているが、その内実はいかなるものだろうか。

一般の視聴者が見ているテレビの映像のほとんどは、国際映像と呼ばれる、世界共通の映像である。これを制作するのはHBSという会社であり、ディレクターやカメラマンなど、主要メンバーのほとんどは外国人である。ピッチ上で灰茶色のベストをつけているのがテレビの画面でも見られるが、これはみなHBSのクルーである。

言語を初めとして、いろいろな問題が持ち上がるが、その調整をするのが「放送チーム」の仕事である。例えば、どんなことだろうか。

選手がバスを降りて会場に入場するシーンを見たことがおありだろうか。

わずか20秒足らずのシーンの裏側にも苦労がある。カメラクルーは、選手がバスを降りてから前方に歩いて、控え室に入って欲しい。バスの正面からの方がいい画(え)が撮れるからだ。

筆者は埼玉と静岡の会場で、この担当だったが、静岡では現場の警備と打ち合わせをして、カメルーンチームのバスが駐車する向きと位置を決めた。カメラのスペースが十分にとれ、角度的にもテレビ映りが良いようにである。

ドイツチームの入場では、屈強な男性が10人ほど「一般人侵入禁止」のラインを押しのけて入ってきたので、緊張が走った。よく聞いてみると、フーリガンを見つける「スポッター」と呼ばれる警察官の一団であったのは皮肉である。

ベルギー戦の日に、日本チームが入場する時のこと。担当のカメラマンが不勉強で、筆者に対して、「後ろに立って、有名な選手が入ってきたら僕がカメラで追えるように背中を指でたたいてくれないか」と言ってくる。しょうがないから、森岡がバスから降りてくれば背中を「トン」、稲本は「トントン」、小野は「トントントン」、中田(英)は「トントントントン」である。そのたびにカメラマンは選手を追う。「オレはディレクターじゃないぞ」と思いながらも「トントントン」である。

逆に静岡会場ではカメラマンが何を思ったかエースのエムボマの直前の選手をカメラで追いかけ、エムボマを素通りしてしまった。映像を撮られ慣れているエムボマは一瞬キョトンとしていたが、苦笑いして控え室に入ってしまった。

放送チームが一番苦労するのが、VIPとの対応である。警備担当も極端に神経質になる。

例えば、VIPが観戦時に座る位置は放送直前まで極秘である。埼玉会場では、選手入場用のカメラのケーブルがVIP入口を横切っている。日本−ベルギー戦では車いすを使用するVIPがいるということで、キックオフの90分前の選手入場が終わったら、VIPの入場しないタイミングを見計らってケーブルを巻き取るということで合意が出来ていた。

現場でぎりぎりになってそのままで良いとなったのだが、HBSの外国人クルーの計画には仰天した。曰く、「僕はVIPの入り口には行かなくてもいいんだ。反対側からケーブルを引っ張ればいいんだろう」。

冗談ではない。VIPの入場時に目の前にある真っ赤なカメラケーブルがするするとヘビのように動きだしたら一大事である。

選手が入場する前のロッカールームを撮影したいとHBSが言ってきたことがある。ロッカールームは選手の聖域であり、入場前とは言え、撮影は簡単ではない。FIFAやチームと協議して、やっとOKをとった。入場30分前にロッカールームに入ったが、カメラマンはカメラを回そうとしない。ヨーロッパでは一人ひとりのユニフォームをハンガーにかけるので、ロッカールーム内できれいな映像が撮れるのだが、日本では床に段ボール箱に入って雑然と置かれているだけ。撮るものがないのだ。これにはクルー一同拍子抜け、またも苦笑いであった。

もっと大変なのは、試合前の監督インタビューである。監督がOKすれば、一問だけインタビューが許されることになっている。わずか10秒ほどの映像である。この返事がもらえるのは通常、選手到着の直前であり、準備する時間がない。さらに、「選手エリア」で行われるため、TVクルーが中に入れるように、警備と打ち合わせをする必要がある。

日本と戦ったベルギーのワセイジュ監督からはインタビューの許可を得たものの、マイクとレポーターが間に合わず、キャンセルとなった。カメルーンチームの監督(ドイツ人)の時はドイツ語−英語の通訳がぎりぎりまで姿を現さず、現場をやきもきさせたものだ。

試合後、シャワーを浴びて着替えを終えた選手や監督がインタビューされるエリアをミックスゾーンと呼ぶ。選手や監督は迷路のように入り組んだ通路を通るが、その間に、まずは新聞、それからテレビがインタビューを行う。

場所取りは早い者勝ちなので、準決勝や決勝ともなると修羅場となる。日本の放送局はJCと呼ばれる連合体を組むが、JCのカメラが何台か並べば、交通整理役も必要になる。はい、宮本はこのカメラ、三都主はこのカメラ、森島はそっち、という具合だ。ぐずぐずしていると選手はさっさとバスに乗り込んでしまうからだ。

会場の音声を拾うマイクも時として大変だ。イングランドのベッカムはHBS泣かせだ。ベッカムがコーナーキックを蹴る時に、注目してほしい。コーナーフラッグ付近にあるマイクを必ずと言っていいほど、横にどけるのだ。その度にHBSの担当者が元に戻すのである。

試合中はもちろん、試合前も試合後も、HBSとそれをサポート、制御する放送チームは苦労の連続なのだ。「苦労は画面に映らない」とは全く良く言ったものである。

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◇全米オープンで知らされたギャラリー気質
(早瀬利之/作家)

今年の全米オープンは、ニューヨーク州のパブリックコース、ベスページ・ステート・パークのブラックコースで開催され、タイガー・ウッズが-3で逃げ切って優勝した。アンダーパーで回れるのはタイガー・ウッズ一人だけだろうと言われたが、逆転候補のフィル・ミケルソンは72ホールで3パットのボギーを叩いてイーブンパーに落ちて自滅した。

もう一人の優勝候補者、ガルシアもリズムを崩して大叩きして、タイガーの前に自爆、沈没した。彼の長いアドレス時間は、余り感心できるものではない。日本だったら、すぐにクレームがつく。ヨーロッパツアーでは、ガルシアのアドレスはさほど問題ではなかった。その理由は今回ほど、ワッグルの回数が少なかったからである。

私が取材したヨーロッパツアーでのガルシアは、普通のプレーヤー同然で、25回もワッグルするような選手ではなかった。特にイギリスでは、長いワッグルをすると、寒いため、筋肉がちぢこみ、ショットがブレ出す。寒い国や風の強いところでは、筋肉を軟らかく保ち、全エネルギーをボールインパクトに使う必要がある。ガルシアは、いつも構えて数秒後に打ち込んでいた。

ところが、アメリカツアーに入ってから、変わっている。やはりこれが気候とコースが、彼のプレーを遅くしたのだろう。これが黒人プレーヤーだったら、ただちにブーイングである。

今回、ニューヨーク周辺のギャラリーが多かったようだが、ちょっと異常な雰囲気。ゴルフプレーを観戦しているのか、フットボールを観戦しているのか、区別がしにくいようだった。ウェーブなど、初めての現象である。

これは多分に、ギャラリーの多くがパブリックコースで遊びのゴルフをしているからではないだろうか。スポーツとゴルフクラブの違いを感じた。

どういうことかといえば、パブリックでは会員制のように、クラブルールはない。プレーして、スポーツして、ルールに沿ってゲームするだけである。それ自体悪いことではない。しかし、マナーという面では疑問が残る。

逆に、メンバー制コースが多いイギリスでは、マナーが優先し、ゲームが2番目である。不必要な声でもあげようものなら、すぐにクレームがつく。全英オープン会場のギャラリーとなると、選手の名を叫んで声援する者はいるが、ウェーブをやったり、不必要な声をあげるものは少ない。それでいて緊張感に溢れている。

どちらが選手たちにとって温かみがあるか、というと、イギリスのギャラリーたちである。

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☆☆ スポーツ書籍評 ☆☆
◇『こうすりゃよくなる、日本のスポーツ』(2)
(中村敏雄/元広島大学教授)

参考:「『こうすりゃよくなる、日本のスポーツ』(1)」(vol.99掲載)

「(アメリカでは)日本のように、外国人選手にタイトルを取らせないために四球攻めになんかしようものなら、ホームチームのピッチャーや監督にブーイングが集まる。フェアプレーがスポーツの根幹にあるのだ」と大橋氏は述べている(84頁)。つまり、日本のプロ野球界の「外国人選手に対する四球攻め」はフェアプレーの何たるかがわかっていない情けないプレーというわけである。

ところが、なんと大リーグでもジャイアンツのバリー・ボンズ選手が―彼がアメリカで外国人であるかどうか知らないが―、アメリカにはないはずのアンフェアーな「四球攻め」に遭い、「スタンドではボンズの子どもが『お父さんにストライクを投げて』の看板を揚げ」ていたという話が伝わってきた(朝日新聞、10月5日)。

もっとも、ハーバード大学の李啓充氏によると、「ボンズほどファンから嫌われている選手も珍しい」といわれるほど不人気な選手だそうで(『週刊文春』、'02年2月7日)、これが事実なら、不人気の選手には「四球攻め」をしてもアンフェアーではないという伝統がアメリカにはあるのかもしれない。

大橋氏はまた「日本でファインプレーといわれるものは、メジャーでは当たり前、(日本で)『不可能』と思われるものを、あちらではファインプレーという」(70頁)と日本のプロ野球を酷評している。が、その一方で、メジャーリーグのプレーヤーの「(守備における)打球に対する反応とスピード、強肩、そして打撃のパワーの(日本人選手との)差は一朝一夕に縮まるまい」とも述べていて、両者のこのような差が人種の相異に起因するということを暗示している。

「一朝一夕に縮まるまい」という文句はそういう意味を含んでいるとも読みとれる。さらに、「身体能力だけでなく、『攻撃的な守備』への意識」にも相違があるという解説に出会うと(『誤解だらけの大リーグ神話』、中公新書ラクレ、66頁)、日米間にこのような相違=不平等があるということを知りながら、数多くのメダルを奪い取ってナショナリズムの昂揚や物質的利益の獲得に利用したことを批判すべきではないだろうか。少なくとも、大橋氏のいう「スピード、強肩、パワーの差」が彼等の体格や体力の相違によるということに同意されるなら、不平等な競争をこそ批判すべきであろうと思われる。

また、わが国の私設応援団についても「リーダーに引っ張られないと(応援も)出来ない日本。たかがスポーツと言うなかれ。このメンタリティを克服しないと、21世紀の国際化時代に、日本は生き残れない」と、応援団だけでなく日本人全体のメンタリティを批判されている。

しかし、「このメンタリティ」をどのように「克服」していくのかということを、しかも、それをスポーツの応援と関連させて説かなければ、大橋氏は「御意見番」ではなく、ただの不平屋ということになってしまう。