国際スポーツイベントに参加したことのある読者は、ウェルカムデスクで登録を行う際に大会オーガナイザーが用意したスーベニア・バッグを受け取った経験をお持ちだろう。スポーツ・メーカーが提供するバッグを開けると、大会のピンバッジを始めとして、メモ帳、ボールペン、キーホルダー、地元のガイドマップ、時には記念ウオッチや缶入り飲料までゴロゴロと出てくる。 3月の19日から20日にかけてフランス、ロワール地方のサンティエンヌとサンガルミエという小都市で行われたクロスカントリー世界選手権でも取材に訪れたメディアにバッグが配られた。それがちょっとした波紋を広げることになった。 世界クロカンはIAAF(国際陸連)が主催する世界選手権のひとつ。毎年3月に開催されるが、この種目はヨーロッパでは特に人気が高く、注目を集めるイベントだ。 今回、日本からは男女のシニア部門とジュニア(高校生)部門あわせて30人の選手が参加したのだが、最高は女子ジュニア部門で脇田茜さん(須磨学園)の11位と結果は振るわなかった。 さてバッグである。配られたのは2012年のオリンピックを招致しているパリをプロモートするバッグ。そして異議を唱えたのは同じく2012年に立候補しているロンドンの高級日刊紙、ガーディアンである。 クロスカントリー世界選手権と「まったく」関係のないバッグが用意されていたのは不自然ではないか、という論旨だ。 話は2001年にさかのぼる。2年に1回開催される世界陸上だが、2005年大会まで4年を切ったタイミングで開催地が突然宙に浮いた。幻の2005年ロンドン大会。 誘致に最も熱心だったロンドンにとって致命的だったのはIAAFの基準を満たすスタジアムがないこと。開催への条件は新スタジアムの建設であった。英国陸連は開催計画をIAAFに示す際に建設を約束するトニー・ブレア首相名のレターを用意したとも言われる。 ロンドンの北東、ピケットロック地区にあるリーバレー・レジャー・センターの再開発プランとして進められてきた国立競技場の建設が、議会の審議で一転白紙に戻ってしまったのは2001年10月4日だった。棚上げの理由は、当初プランから大きく膨らんだ建設コストの負担増である。 政府と英国陸連は「不幸な結果」をIAAFに釈明すると同時に、人口約60万の北部の都市シェフィールドへの開催都市変更を要請したのだが、IAAFのラミン・ディアック会長はこれを拒否。英国政府の無能ぶりにはあきれ果てた、と関係者の不手際をこき下ろしたのだった。 翌年3月に行われた開催都市入札の結果、2005年の世界陸上はフィンランドのヘルシンキに決定。英国のメディアは2012年のオリンピック誘致に悪影響を与えかねない事態だと、声高に政府の対応の拙さを非難した。 セネガル人のディアック会長は植民地時代のフランス代表で走り幅跳びのチャンピオン。親フランス派と目されている。英国人の目には、英国嫌いのIAAF会長が権限を利用して公然とパリの2012年オリンピック招致を応援している、と映ったようだ。IOC委員でもあるディアック会長は公平性を保たなくてはならないはず、と疑問を投げかけた。 IAAFのスポークスマンは、「クロスカントリー世界選手権の大会組織員会はルールを尊重し、その範囲で活動したにすぎない」と英国からの批判を受け流し、取り合おうとはしていないが、ロンドン大会の返上が意外なしこりとなっていた事実が浮き彫りになった。 2月から3月にかけて行われたIOCによる招致都市のインスペクションもモスクワを最後に終了。パリの評判は上々だったようだが、7月にIOCロゲ会長が読み上げる都市名はどこになるのか、まだまだ予断はゆるさない。 |