元大関貴ノ花の二子山親方が亡くなった。 55歳の若さだ。いまだに信じられない思いである。 二子山親方ほど大相撲の興隆に貢献した人物はいない。現役時代、その全力を出し切る相撲は常に観客を沸かせ、メディアを通じて人々を虜にした。一瞬たりとも目を離せない相撲が貴ノ花の持ち味だった。勝ち負けにかかわらず、である。無敵の横綱北の湖を倒して初優勝を飾った1975年春場所千秋楽のテレビ視聴率は50.6%を記録。これは大相撲中継では史上2位だ。 引退後は二人の息子の父親であることを捨て、部屋の親方として若乃花、貴乃花の兄弟横綱を育て上げた。高年齢層に偏っていた相撲人気は一気に若い女性層にまで拡大し、二人は芸能タレント顔負けの扱いを受けた。若貴の活躍に支えられ、本場所では常に満員御礼の垂れ幕が下がった。 貴ノ花の新入幕は1968年。1972年に大関昇進を果たし、1981年に引退するまで優勝2回、準優勝8回、技能賞4回、殊勲賞3回、敢闘賞2回を獲得した。 1974年に長嶋選手が現役を引退、巨人の連続優勝もV9でピリオドを打った。現代と違い当時サッカーが話題になることなど、まず無かった。そんな時、巨漢の高見山に真正面から挑んで行く、痩せて小柄な貴ノ花の姿は正真正銘の70sヒーローであった。 貴ノ花は引退直後に輪島とともに資生堂アウスレーゼの広告に登場したが、その他にも兄の初代若乃花と競演したCMなど、10社の企業が広告に起用した。当時相撲協会は力士の広告出演に規制を設けていなかったが、抜群の人気で貴ノ花は企業とメディアを大相撲というスポーツに強く牽引した。キーワードは人々が一様に感じた「シンパシー」であった。 スポーツは時代と共に変化する。大相撲でも様々な改革が行われてきた。古くは、より観戦し易いように土俵の東西南北に設置されていた柱を「房」に替えた。無制限だった仕切りに制限時間を設け、同門同士の対戦も可能にした。近年では物言いでの協議の内容を場内アナウンスするようにし、好評のようだ。 様々な変革は相撲協会の改善への努力の現れであり、ファンを意識した対応として評価したいと思う。しかしながら相撲人気を根本から左右するのは力士自身だ。 スポーツには勝ち負けがつきものだ。全力士が勝者になることは出来ない。いや、相撲の魅力は「素晴らしい勝ち方」と「惜しい負け方」のコンビネーションにこそあるのだ。故二子山親方の現役時代の身上は、勝敗が決するまであきらめない粘り。観客を最後まで熱狂させる土俵を常に見せてくれた。 大相撲は国技だが、江戸時代から続くプロスポーツである。いつの時代でもファンに観てもらい、喜んでもらってこそ存在意義がある。残念ながら、いま様々なスポーツコンテンツの中で、大相撲人気は低迷しているように思える。その理由は、良い負け相撲が少なくなっているからではないだろうか。 力士には「観られている」ことをもっともっと意識した相撲を取ってもらいたい。しかし一方で環境が変わり、それによってモチベートされることもあるだろう。 そこで提案だが、相撲界の伝統的な寝食スケジュールを尊重したこれまでの取り組みの時間帯を、思い切って夜にシフトしたらどうだろう。会場に足を運ぶ観客層も、テレビの視聴実態も激変するに違いない。注目率が上がり、結果として一番一番の緊張感は大いに高まると思うのだが。 朝青龍の強さだけが突出する昨今の大相撲。バタバタ倒れる大関以下に不甲斐なさを覚えることも多い。水入りや取り直しも少ない。全力士が大関貴ノ花の粘りを改めて肝に銘じ、精一杯精進することが故二子山親方に対する最高の供養になると信じる。 心からご冥福をお祈りします。 |