アジア予選を勝ち抜いて、ジーコ・ジャパンはFIFAワールドカップ2006ドイツ大会の出場権を得た。最終戦を待たずして、世界で一番早い決定だという。嬉しく、誇らしく、そして何よりほっとした気分だ。 私の「この気分」、多くの日本人が等しく共有したのではないだろうか。これこそがワールドカップの凄さだ。しかしながら今から20年前の1985年、東アジア地区予選最終段階のホーム・アンド・アウェイで韓国に敗退して86年メキシコ大会への出場を逃がしたとき、その悔しさをシェアできる人々は驚くほど限られていた。 1994年のアメリカ大会に向けて、アジア一次予選突破がかかった日本代表が国立競技場に迎えた対UAE戦。観客の中には、その試合自体がワールドカップだと思っていた人がかなりいた!! そう、10年前までワールドカップは多くの日本人にとっては、まだ遠い存在だったのだ。 サッカー最高峰の大会の強烈なインパクトが日本人の意識に、まるで3段跳びのように迫ってきた出来事がある。「ドーハの悲劇」でアメリカ大会出場の夢が絶たれたこと、ジョホールバルでの3位決定戦勝利とフランス大会への初参加、そして2002年大会の開催と日本代表のベスト16に入る活躍だ。 かくしてFIFAワールドカップは国民的関心事となった。 この間、アジア地区最終予選に協賛する企業の顔ぶれも様変わりした。10年前、地区予選は中東から東アジアに至る広大なアジア市場に効率よくブランドを露出し、同時に販売促進テーマになり得るスポーツイベントとしてマーケティング価値が評価されていた。企業ごとに重点市場は異なっても、あくまでもアジア全域を意識したスポンサーシップ判断だったのだ。 それがどうだ。日本代表フィーバーを背景に、いまや大半の企業の協賛意図は完全に日本市場での宣伝活動だ。日本企業オンパレード!他国の観客や視聴者を無視した日本語のスタジアム看板さえあるではないか。 アジアサッカー連盟(AFC)は協賛料やテレビ放映権料を一括管理し、加盟サッカー協会に分配するシステムを採用している。導入は1993年のことであった。試合の開催国には入場料収入を得る道は残されるが、スポンサーセールスは出来ない。様々な事情を抱える各国からの反発もあったが、システムとして定着し今日に至っている。 AFC加盟国(地域)は現在44。今回最終予選に駒を進めたのは8カ国だが、予選の成り行きはアジアのサッカーファン全ての興味の対象だ。サッカーの世界では政治的な強国も、経済大国も存在しない。全てのサッカー愛好国が平等に闘うところにスポーツ文化としての価値がある。 事実上、日本からの資金がAFCの財源のかなりの部分を支えているのかもしれない。優良企業の協賛はイベントの「格」も支える。しかし視覚に捉えられる日本企業のスタジアム看板が示すプレゼンスは、過度な偏向としてアジア諸国のファンの目に映っているのではないだろうかと心配になる。 中国で開催されたアジアカップでの過激なブーイングや反日デモ、そして背景のひとつである靖国参拝問題は泥沼化している。その様なときだから、スポーツの世界ではアジアにおいて努めて「スマート」な振る舞いを心掛けたいものだ。その上で、世界でも認められる日本を目指してゆくべきだろう。 |