「2016年の夏季オリンピックを日本で」という動きが急である。 今年の春ごろは、興味を示す都市も「研究中」「検討中」のレベルだったが、夏を過ぎて、東京都が名乗りをあげ、一気にテンポアップした。 いまのところ、東京都のほかには、福岡市と札幌市のようだが、来年4月末までの国内立候補意思表明の〆切までに、新たな参入を示す都市など曲折があるのではないか。複数の立候補の場合は、来年8月末に日本オリンピック委員会(JOC)の投票で“一本化”する予定だ。 いずれにせよ、候補都市は住民のコンセンサスのもとに手をあげて欲しい。 そのためにはスポーツ界がどこまでリーダーシップを取れるかがカギ、だ。 古い話を持ち出しても仕方がないが、1988年夏季大会を目指した名古屋市も、2008年夏季大会招致に乗り出した大阪市も、国際オリンピック委員会(IOC)総会での投票であっさりライバル都市に退けられたが、いわゆる“招致期間”に、国内におけるスポーツ人の姿は、けして大きいものではなかった。 なかには“人ごと”のような素振りで、大阪の時には、ほかの立候補都市の知識さえ持ち合わせていないような人もいた。 もっとも、いつも、この手の話で右往左往するのは自治体推進者、メディア、メーカー、関連業界といったところだ。 このことに限らず、日本のスポーツ界は、つねに誰かの力にすがって過ごしてきた。いまだに「自立」の掛け声が、新しそうに響くのでもそれは分かる。 JOCは2016年の招致が不成功の場合、引きつづきその都市が2020年夏季大会にも立候補することを強く望んでいるようだ。 なおさら、スポーツ界が「なぜ、オリンピックなのか」の信念、理念に満ちた声を枯らさなければいけない。 アテネ・オリンピック(2004年)での活躍などで、JOCはいま追い風に乗っている。 そのムードを、日本国内だけでなく、世界に寄与する壮大なメッセージとしてどのように“発信”できるか。 スポーツ界、スポーツ人のたくましい「初動」を、新年早々の期待としていたい―。 |