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vol.304-1(2006年 6月 7日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト

ドイツ、マルタ戦でFWが存在感
   ―W杯ドイツ大会に希望の光―

 サッカーW杯ドイツ大会本番直前、ジーコ・ジャパンのドイツ戦とマルタ戦をテレビで見た。ドイツ戦は優勝も狙える強豪チーム、よくて引分け、敗れてもチームの課題が何か見つけられそうだ。マルタはFIFAランク125位(日本は18位)の国、あっさり一蹴して、できれば大量点をあげて、本番へはずみをつけよう。そんな思惑があったようだ。

 結果は―ドイツ戦は2-0と一時はリードして、ドイツをあわてさせたが、最後にセットプレーで2点を決められ、2-2の引分け。守りに課題は残したが、予想以上の出来栄えで、大いに期待をもたせた。

 一方、マルタ戦は、開始2分、早々とゴールを決めたので、見る側は大量点をあげて圧勝しそうだ、と予感した。ところが、そのあとはひいて守るマルタを攻めあぐみ、時折、逆にカウンター攻撃をくらってヒヤリとする場面もあり、1-0で勝ったものの欲求不満の残る最終ゲームとなった。直後の記者会見で、中田英寿は「収穫はなし。気持が入っていない」と、チームメイトに対して怒ったように批判し、ジーコ監督も「内容がよくない」と不満を漏らしていた。

 格下相手にふがいない、というのが関係者をはじめ、テレビ視聴者の感想のようだ。私もテレビ中継を見ていて、1点しかとれなかったことに物足りなさを感じはしたが、そんなにひどい出来だとは思わなかった。

 125位、というレッテルなど、あてにならない。選手の動きは日本チームにくらべ、遜色はないように見えた。ボールのキープ率は日本がかなり上回っていたようだが、かたいディフェンスと一瞬の切り返しの反撃力は、相当なものだと思われた。

 今大会、私の期待する“3中”―中田、中村、中澤はそれなりに元気だった。それに、ドイツ戦の高原につづいて、とにかくFW(玉田)が得点をあげたことが、何よりの光に思える。FWの決定力不足は「民族的課題」だから、プロのJリーグが出来たからといって、そう簡単に解消できるわけはない。

 サッカー評論家の金子達仁さんが、「なぜ釜本邦茂は出現したのか。そして、なぜ彼以降、第二の釜本は現れないのか」を論じている。(朝日新聞6月5日付「時流自論」) 

 「ストライカーというポジションには、エゴイスティックな要素が必要である。味方がシュートを打ったとき、『決まれ』と祈るのではなく、『バーに当たっておれのところに跳ね返ってこい』と思えるエゴイズム。・・・日本の社会では『悪』に分類されてしまいかねない発想がなければ、ゴールを量産することなどおぼつかない。釜本さんには、それがあった。サッカーがマイナーな時代に出現した天才だっただけに、欠点を矯正しようとして長所を去勢してしまうこの国のスポーツ界特有の悪癖とも無縁でいられた」

 いま、サッカーはメジャーなスポーツになって、誰でもやっている。だから日本人の国民性や気質がはっきりストレートに表れるようになった。つまり、FWに絶対に必要とされるエゴイスティックなものは「悪」として排除される日本社会から、釜本のようなストライカーは出にくいのは当然、というのである。

 私もこの論に、ほぼ同感だ。日本はMFの国だ、と前にもこの欄で書いたことがある。ひ弱なFWと優秀なMF、という組合せで世界に通用するのかどうか、よく分からない。

 だからこそ、本番前最後の試合で、とにもかくにもFWが全得点を挙げて引分けと勝利に導いた、というところに今大会の希望を発見した気持である。本番の楽しみがさらに増した。

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