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vol.312-1(2006年 8月1日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
高校野球の人気の秘密

 久しぶりに、高校野球を見ようと思った。
7月29日、横浜スタジアムの神奈川県大会決勝戦=横浜vs東海大相模。予想通り勝ちあがった優勝候補同士の対戦だが、試合開始30分前に行けば、いくら人気チームの対戦とはいえ、何とか外野席くらいにはもぐりこめるだろう、と気楽に考えていた。
ところが、関内駅に着いたときから、人が溢れている。球場前の広場は、入場券を求める老若男女の長い列が、文字通り、十重二十重という感じでつづいている。予想外の事態にあわてた。
何人かの係員がハンドマイクで「今、列に並んでも入場券には限りがあるので、手に入らないこともあります」と叫ぶ。事実、試合が始まってしばらくして、「入場券は売り切れました」。多分、1,000人近くが入れなかっただろう。私の前にも後にも、相当数の人が並んでいた。

 「この近くに、どっかスポーツバーがあるんじゃない? 探してみようよ」「中華街で昼ご飯食べようよ」・・・あぶれた人たちは割りとあっさり、街へ散っていった。私も仕方なく、また電車に乗って家に帰り、テレビ観戦と相成った。

 行列をつくっていたのは、若い男女がやや多いかというくらいで、子どもから年配者まで、万遍なく老若男女がいて、あらためて野球の世代を超えた根強い人気を思い知った。

 それも高校野球の地方予選に、これだけの人が集まるのだから驚く。いや、高校野球だからこそ、世代的なかたよりがなく、人が集まるのかもしれない。数年前、高校野球の世論調査では、年代が高くなるにつれて、愛好者がふえる結果がでていた。それも、プロ野球との比較では、50代あたりを境に、若い層はプロ野球、高齢者は高校野球、とはっきり色分けされていたように思う。

 毎日のようにテレビでプロ野球に慣れている目から見れば、高校野球の技術レベルはかなり低いはずだ。それにもかかわらず、高校野球愛好者が年齢が高くなるにつれ、右肩上がりにふえていくのはなぜなのか。

 「サッカーは少年を大人にし、大人を少年にする」という言葉があるそうだが、野球もまた、同じことが言えるのかもしれない。

 しかし、それは野球であればいいわけで、何も高校野球に限ったことではなかろう。少年になりたい、少年の昔に還りたい、という気持は、少年たちの純白のユニフォーム姿を見ることで、より強くなってくるのか。無垢な心を白いユニフォームに包んで、グラウンドを走り回る姿に、俗を超えた、純粋なものを見る思いがするのか。

 私は日本人の自我は、レンコンのような形をしているのではないか、と思っている。欧米人の自我がザクロの、実がぎっしり詰まった形とすれば、私たち日本人の自我はレンコンのように、肉質部分にいくつか穴があいている、空虚な管が何本か通っている。その部分にいかにして、清浄な風を通わせることができるか、が自我の充実というふうに意識されるのだ、と思う。

 高校野球にも毎年、暴力問題などが発生し、すべてが清浄無垢とはいえない。しかし、大半は清浄な一陣の風、である。私も含めて高齢者は、自分がいかに俗塵にまみれた存在であろうとも、そうであればあるほど、清潔・清浄な風が、レンコン自我の管を吹き抜けることを、強く願っているのだ。根強い高校野球人気のわけを、そんなふうに考えてみた。

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