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vol.315-1(2006年 8月22日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
「夏の甲子園」に望むこと・1つ

 夏の甲子園大会を堪能した。例年にくらべて、終盤8、9回、あるいは延長戦での大逆転、それも大量リードされながら、長打ではねかえした試合が数々あり、本当に面白かった。ホームランが出すぎて大味な野球となり、緻密な試合が減った、という声もあるようだが、昔のいわゆる当てるバッティングが影をひそめ、下位打者でも自分なりに振り切るバッティングがふえて、見ていて気持がよかった。その代表例が、決勝再試合の最後の最後、早実・斎藤投手の高め速球を、豪快に空振り三振した駒大苫小牧の田中投手だろう。本人も「見逃しでなく、気持よくスイングできたからよかった」といっている。気分のいい、みごとな空振りだった。

 全体に、打っても守っても萎縮することなく、思い切りのよさが目立ったように思う。ものおじしなくなったのは、野球に関する情報が―たとえば、メジャーリーグの試合がほぼ毎日、リアルタイムで見られるようになったことなど―都会であれ地方であれ、簡単に目に触れられるようになったことも大きいだろう。“野球留学”などという現象もあるが、情報が都会と地方で格差がなくなったこと、雪国でも室内で練習できる施設がととのってきたことも、地域格差をなくしている原因だろう。

 社会の過疎化現象は依然として進んでいるが、野球に関しては、地域の核が全国にひろがっているといえるかもしれない。青森山田、日大山形、八重山商工などの活躍がそう思わせる。その意味で私は、スポーツ留学にも反対ではない。たとえ3年間でも、その地域とそこの人たちになじむ努力があれば、その経験は将来ムダになることはないだろう。

 最後まで勝ち残った大会屈指の好投手、早実・斎藤はクール、駒大苫小牧・田中はホットと、対照的な姿だったのも、よかった。それぞれ、知的な感じと野性味を見せた。それにしても斎藤投手が決勝再試合を含め4連投しながら、147キロの速球を最後まで投げ通したのには驚いた。若い肉体の可能性はおそるべきものだ、と思わせた。4連投を含め7試合で6試合完投、948球を投げたのだ。和泉監督も決勝再試合では、先発させるつもりはなかったようだが、はり師が大丈夫と言い、斉藤本人も投げます、と言ったので先発させたようだ。(8月22日付朝日新聞)そして、十分すぎる結果を得た。おみごと! という以外にない。

 それにしても、である。炎天下で948球を投げること、地方予選を入れればそれに倍する球数になるだろう。先輩たちもみんな若さで、その試練を乗り越えてきたのだ、というかもしれないが、過酷な状況であることに変わりはない。バティング・マシンで打撃練習ができるのにくらべ、投手は自分の生身の肩、肘、手首を使って投げるしかない。故障を起こしやすい。肩をこわす投手は、今でも少なくないだろう。特別に頑丈な肩、肘をもち、無理のない正しい投げ方をマスターしないかぎり、故障がでてもおかしくない。

 何とか連投という事態を避けられないものだろうか。準々決勝から決勝までは、少なくとも中1日の休養日をつくることはできないのか。成長期にある高校生たちに、決して無理をさせないやり方を探すべきではないか。いい試合を見せてもらってありがたい、と思いながら、本当は決勝再試合はなし、引分けた早実、駒大苫小牧両校優勝、としてほしかった。

 肩、肘は当人にとって、大切な財産だ。プロ野球、メジャーまでを見すえた野球人生が、彼らの前にはひろがっているはずである。日程、経費の問題があるとしても、準々決勝以降は1日置き、というシステムに変えてもらいたい。その休養日は、近くの小、中学生たちと、チャッチボールして遊べばいい。毎日たたみかけてくるような、甲子園の熱狂は気持よい。しかし、選手たちにとっては、甲子園は人生の通過点である。終着点にしてはならない。

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