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vol.315-2(2006年 8月25日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞大阪本社運動部記者
駒苫と八重山に見る地域格差なき高校野球

 早稲田実の初優勝で幕を閉じた夏の甲子園。エース、斎藤佑樹投手の話題が今も連日マスコミを賑わせている。駒大苫小牧との2日間にわたる壮絶な決勝戦、大会通算記録を大幅に塗り替えた本塁打の量産。この2つが今大会の象徴的出来事だろう。

 そんな戦いを取材しながら、考えたこともある。地域間の格差が本当になくなってきたという実感だ。それは関西から地方へ野球留学する選手が増えたという点だけで分析することはできない。

 駒大苫小牧は中京商(現中京大中京)以来73年ぶりとなる3連覇をあと一歩で逃したが、今大会を通じて優勝候補であり続けたことは疑いない。では、なぜ戦後どの学校も成しえなかった偉業を達成しうるほどの実力を、北海道のチームが持てたのか、という素朴な疑問がある。

 もちろん、今年のチームだけを見てみれば、田中将大という、一級品の投手がいたからに他ならない。田中はボーイズリーグの兵庫・宝塚ボーイズ出身であり、北海道への野球留学生である。二塁手の山口就継という選手も同じく兵庫県出身だが、その2人だけでこのチームが完成したのでは決してない。

 その変化が中学生のレベルで起きているという話を聞いていたので、甲子園の記者席から北海道の中学野球関係者に電話をかけてみた。電話に出たのは、リトルシニアの北海道連盟の前理事長で、北海道で35年の歴史を持つ札幌北シニアの会長、梶浦正治さんだった。

 梶浦会長は「ここ5年ぐらいでのレベルアップは著しい」という話をした。その理由が興味深かった。「社会人野球で休部が相次いだでしょう。その企業チームの選手たちに野球をやる場がなくなり、地元の中学生を教えるケースが増えてきたんです」。

 北海道といえば、社会人野球の盛んな土地だった。しかし、90年代後半から他地域と同様、景気低迷の影響を受けてきた。たくぎん、新日鉄室蘭、王子製紙苫小牧、大昭和製紙北海道、NTT北海道といった強豪が休部になったりクラブ化したりした。そんな中から全国レベルの野球を知る選手が指導者になってグラウンドに戻ってきた。北海道の躍進には、そうした背景がある。

 もう一つ、気になった学校は八重山商工だった。日本最南端にある離島の学校。自由奔放なタイプの選手たち。3回戦で優勝候補の智弁和歌山に敗れたとはいえ、ひょっとしたらと期待を抱かせるような戦いぶりでもあった。継投した大嶺祐太、金城長靖の両投手は140`台の快速球を持ち、主砲でもある金城選手が2回戦の松代戦でバックスクリーン右に打ち込んだライナーの驚異的本塁打は、明らかに高校生離れしていた。そのパワーを見ていると、ここにも素朴な疑問がわいてきた。

 「なぜ離島でこんなに強いチームが出来上がったのか」。その質問を伊志嶺吉盛監督に投げ掛けた。監督は即座に「小中高一貫でやってきたからですよ」と答えた。少年野球時代から約10年かけて教えてきたからこそ、これだけのチームを作れたという実感が監督にはあるのだろう。

 駒大苫小牧と八重山商工。北と南から見えてきた高校野球像に、なんらかのヒントが見出せるような気もする。それは地方スポーツの強化や活性化にも応用できるテーマなのではないか。

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