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vol.332-3(2006年12月22日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞大阪本社運動部記者
あれから8年、横浜FCのJ1昇格
〜今年を振り返ってB〜

 今年の横浜FCのスローガンは「夢に蹴りをつける。」だった。今まで夢でしかなかったJ1昇格に決着をつける、という意味が込められていた。そして、合言葉通りに彼らはJ1の舞台にのし上がった。

 1998年末の忙しかった時期を私は思い出した。当時はサッカー担当で、横浜フリューゲルスの「消滅」を取材していた。10月末にこの話が発覚し、その関連取材は翌年2月ごろまで続いた。

 運営費の大半を親企業の全日空に頼ってきたが、それも限界が来たというのが理由だった。形式上は横浜マリノスとの合併で、チーム名は「横浜F・マリノス」と変わったが、出資比率はマリノス7対フリューゲルス3。実質的にはマリノスによる吸収合併が成立した形となった。

 フリューゲルスは、そうした結果が出た直後の99年元旦の天皇杯で優勝し、有終の美を飾った。その時、記者席で横にいた元日本代表監督でかつてフリューゲルスの指揮も執った加茂周さんが「もう遅いんや。もっと早くがんばっておれば、こんなことにはならんかった」と嘆いていたのを思い出す。結局、マリノスとの合併に納得がいかないフリューゲルスのサポーターが「出資企業の経営に左右されないクラブを自らの手で作ろう」と動き出し、スペイン1部リーグ、FCバルセロナの有名な会員組織「ソシオ」を見習って市民クラブを立ち上げた。それが横浜FCのスタートだった。

 あれから8年がたつ。ソシオ会員とクラブ運営会社との、契約関係などをめぐる対立が裁判に発展するなど、決して順調に運営されてきたわけではない。だが、そうなったのもクラブへの愛着がそれぞれ強いからに違いない。JFLへの加盟が認められると、2年連続優勝で01年にJ2へ昇格。以降、10位前後の低迷が続いたが、6年目の今年、やっとJ2制覇を成し遂げた。メンバーを見れば、三浦知良や城彰二(今季で引退)、山口素弘、小村徳男ら、かつての日本代表選手がいる。全盛期を過ぎたとはいえ、そうした選手が集まるクラブとなった。

 90年代後半から、親企業の方針によって消滅していくチームがさまざまなスポーツで相次いだ。そして地域密着を掲げたクラブチームが各地で誕生した。だが、地域密着の理想を唱えても実際の運営は容易ではなく、「開店休業」のクラブも多いと聞く。そんな方向性の見えない、もやもやした状況に、横浜FCのJ1昇格は少しばかりの光明を示したといえるかも知れない。

 ソシオというバルセロナの制度からクラブ運営を学んだように、横浜FCもこの8年を振り返って市民クラブのあり方を社会に投げ掛けてほしい。そんな議論が活発になる来年を期待したいと思う。

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