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vol.368-1(2007年9月 5日発行)
五味 幹男 /スポーツライター
歪(いびつ)なホーム・アドバンテージ

 スポーツには、ホーム・アドバンテージがある。自分たちの地元、つまりホームで戦えることが有利な状況を生み、パフォーマンスに好影響を与える。慣れ親しんだ場所と気候に加え、観客の大きな声援に後押しされたアスリートが普段以上のパフォーマンスを発揮することも珍しくない。

 しかし、時としてそのアドバンテージが逆効果をもたらししまうことがある。選手がそれをコントロールできずに気負ってしまった場合だ。

 今回の世界陸上をみながら、そう思わずにはいられなかった。日本選手を次々と襲ったアクシデントは、決して「暑さ」だけが原因ではないだろう。アクシデントが事前に注目を集めていた選手に集中したこともその証拠だ。

 彼らが気負いすぎてしまった理由はいくつか考えられる。まずは現役時代に一度経験できるかという地元開催だったということがひとつ。ふたつ目は来年に北京五輪を控えていたということ。今大会の結果が五輪出場に向けていろいろな意味で大きな影響を与えることは選手本人が一番よくわかっていたはずだ。

 しかし、それだけではないだろう。突き詰めて考えていくと、そこにはひとつの大会という枠組みを超えたものが見えてくる。そしてそれは、日本陸上界が置かれている立場と非常に深い関係があるように思える。

 彼らが地元開催というアドバンテージをアドバンテージとして受け止められなかったのは、一重に彼らの気持ちが強すぎたからだと推察できる。それ故に、本番という最後ギリギリの段階になって、あたかも堤防が決壊するかのごとく異変が次々と起こってしまった。では、なぜそれほどまでに彼らが強い気持ちをもってしまったかといえば、日本における陸上競技がマイナースポーツの域を脱していないからだ。注目されることが日常的になっている野球やサッカーとは違い、陸上が大きな注目を浴びるのは、現実として4年ごとの五輪や2年ごとの世界陸上という舞台しかない。国内最高峰を競う日本選手権ですら、その扱いは野球やサッカーのワンゲームと比べても小さい。

 ならば、彼らがこうした注目度が高い大会に臨むにあたって、制御できないほどの強い気持ちをもってしまうことはなんら不思議ではない。そこにはマイナースポーツであるが故の悲しき現実が透けて見えてくる。特に昨今の選手たちに陸上競技をメジャーにしていきたいという気持ちが強いだけに、地元開催の世界陸上に対して、意識の有無にかかわらず必要以上の何かを自らに課してしまっていたのではないか。

 不本意な形で競技を終えた彼らは、口を揃えるように応援してくれた人々に申し訳ないという旨のことをいっていた。スタンドにいた観客、テレビの向こうの視聴者は普段、陸上に慣れ親しんでいない人がほとんどに違いない。そうした人々に対して、彼らは期待に応えられなかった自らを悔いたのだ。

 彼らの失敗を私たちは選手側だけの問題として捉えてはならない。彼らが気負いすぎてしまった原因は私たちにもあるのだ。ホーム・アドバンテージが選手たちの気負いになるのではなく、彼らが存分に力を発揮できる環境として受け止められるようにしていくことは、観る側である私たちに課せられた使命ではないだろうか。

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