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vol.379-2(2007年11月27日発行)
松原 明 /東京中日スポーツ報道部
「礼節を重んじる明治大学サッカー部」

 関東大学サッカー・リーグで、明治大学が43年ぶりに優勝した。昭和39年(1964年)東京オリンピックの年以来の長い下積みを経ての王座だった。

 1964年は、名左ウィングで東京、メキシコ五輪に出場活躍した杉山隆一さん以外に目立つ選手はいなかったが、全員の団結で、当時の日本代表エース・ストライカー釜本邦茂さんら、スター軍団の早大に競り勝った。

 明治大学サッカー部は、大正13年(1924年)創部で83年の歴史を持つが、2部転落の時期が長く、この長期低迷打破へ、根本から立て直そうと打ち出したのは、部のスローガン3原則である。

 「@礼節を重んじるA思いやりと謙虚さを持つB常にフォア・ザ・チーム」の3点を学生にじっくりと教え込んだ。

 近来、大学球技部の不祥事が多発。京都大アメリカンフットボール部、同志社大ラグビー部、国士舘大サッカー部など、歴史を誇る名門大学で、まさかの事件が起きているのも、正しい社会人としての訓練を経ていないまま、スター選手気取りになり錯覚することが大きい。

 吉見章、神川明彦の前、現監督は根気良く教えた。「大学を出て、立派に社会人としてやって行けなければ駄目だ。そこから始めよう」「サッカーは人の力が集まって成り立つスポーツ。まず、キチンと生活することが第一。人間的にしっかりしていないと、社会人になっても成功しないゾ」これを指導し続けて、ついに実った。選手だけではない。運営、サポート面でも成功した。関東大学リーグでは、チーム、リーグ運営ぶりも査定するが「マイナス・ポイント」がなかったのは、明治大学だけだった。

 神川監督は、昼間は大学職員の仕事があるため、鎌倉の自宅から単身赴任で八幡山のグラウンド近くにアパートを借りて住み込み、早朝6時から学生と一緒に“朝レン”の指導をした。この熱意が伝わらないはずがない。吉見監督の時から、コーチから昇格した神川監督に掛けての長い一心同体の成果がついに現れた。

 グラウンドで目標にしたのは「人もボールも動くサッカー」だ。オシム監督が提唱して、だれも知らない人はいないほど有名になったが、明治大学はいち早くこの戦術を取り入れていた。「ボールをしっかりつなぐサッカーでないと、ただ蹴るだけでは上達しないし、守備をしっかりやらないと勝てない」ことを神川監督は自ら実践し教えた。

 成果が上がるに連れ、大学側も練習場を人工芝に改良し、特待生制度でサッカー選手入学の道も開いてくれた。きちんとあいさつし、年長者を敬い、礼儀正しい明治大が勝利の栄光に輝いたのは、日本サッカー界にも、良い刺激になったのではあるまいか。

 「ローマは一日にして成らず」。我慢と忍耐を重ね、長年の全員の努力が報われたのをうれしく思う。

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