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vol.342-1(2007年3月6日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
「大山倍達正伝」の面白さ

 小島一志・塚本佳子著「大山倍達正伝」(新潮社刊)を読んだ。快作か、はたまた怪作か、にわかに判断はつかない。600ページを超す本、400字詰原稿用紙でゆうに1500枚はある大作、軽い新書に慣れた者には、久しぶりのボリュームがたっぷりすぎる本だ。読んでも読んでも終わらない、微に入り、細をうがつ手法で、これでもか、これでもか、と大山倍達伝説を解きほぐしていくのだが、十分に整理されていないので、同じ事実がくりかえされたり、決して読みやすい本とはいえないが、とにかく執拗な、迫力ある2人の筆者の突撃精神に圧倒された。

 大山倍達という名前だけは知っていた。空手極真会館の創設者、人によれば邪道ともいわれるケンカ空手で、一世を風靡した人、という以上には知らなかった。「牛殺しの大山」「世界一の空手家」といわれた大山は、梶原一騎の劇画「空手バカ一代」が、1971年、「週刊少年マガジン」に連載されはじめた頃から、猛烈な勢いでその伝説が増殖していった。

 大山のまわりにいるたくさんの関係者、マスコミがよってたかって作り上げる伝説、本人もまた、その伝説によりかかり、それを利用して、巨大な虚像をつくり上げてしまった。空手の強さ、実力は誰もが認める。しかし、どこかうさんくさいものがたえずつきまとう。最終的に大山倍達は日本人だったのか、韓国人だったのか。そのことすら、分明ではなくなる。日本人・大山倍達の体の中に、韓国人・崔永宜(チェ・ヨンイ)がもぐりこんだような人格。太平洋プレートが日本列島の下にもぐりこみ、地震を誘発するように、1994年に亡くなった大山は、日本人になりきることで、少年の頃からの夢だった世界一の空手家として爆発し、名声を馳せたのだが、最後の最後、韓国にもう一つの家庭をつくり、ことあるごとにそこへ帰って、少年の日のチェ・ヨンイの無垢の魂をなぐさめていた。日本の家庭と韓国のそれと、その二重の家庭生活のあわいに、人間・大山の姿、なぐさめと悲しみを見つけたのが、小島・塚本二人の仕事である。

 真偽さだかならぬ深い森の中へ、どこまでも分け入って行く。その火の玉のような情熱には、ただただ驚くばかりだ。小島さんは自ら空手を学んで、その後、空手雑誌の編集者となり、生前の大山とも取材などで深くつきあいがあった。塚本さんは大山に会ったことはない。空手雑誌の編集をすることで、偶然、大山のことを知り、次第に大山という“巨人”にひかれ、そしてどこやら虚実がいりまざった矛盾のかたまりのような人間の真実の姿を、この世に知らしめたい、と強く思ったようだ。

 杉田玄白の「解体新書」ではないが、虚実が複雑にからまりあっている伝説から、一枚一枚、虚をひきはがし、腑分けしていくという、こまかく困難な作業をつづけた。その中で、大山倍達の実像が、虚飾をはぎとられてあらわになるのだが、その解体作業自体が、いかにして伝説が作られていくか、がよく分かるのも面白味の一つだ。さらに、大山の実像を超えて、戦前から今日にいたる日本と韓国の関係、戦後の「第3国人」の状況、朝鮮半島の南北の政治状況をそのままうつしだす、在日韓国人の中の民団と総連の葛藤・・・など、背景としての日韓戦後史もよく書かれていて、大変勉強になる。

 空手に関心がある人なら、この分厚い本をがまんして読むかもしれないが、ふつうの読者は多分、途中で投げ出すのではないか、と思う。たとえ大山倍達が世界一の空手家であろうと、これだけ虚飾にまみれた人間につきあうのはごめんこうむりたい、と思ってもおかしくない。しかし、プロレスの力道山がそうであったように、大山倍達も日韓の複雑で隠微な歴史の中から生まれてきた希有な人間の一典型である。そのホンモノの姿を定着させたい、という小島さんと塚本さんの努力は素晴らしい。

 とくに、これからスポーツノンフィクションを書こう、と思う若い人に、この本をぜひ読んでほしい。人間探究の情熱はもちろんだが、この2人3脚ぶりも考えてみるに値する。空手についてかなりプロ的な小島さんと、殆どアマチュア的な塚本さんという、年もちがう男女の組み合わせが、ノンフィクションの新しい可能性を思わせる。作品は1人で書くことがすべてではない。3人寄れば文殊の知恵風に、複数で作品をつくることも、大いに試みられていいのではないか。

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