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vol.354-1(2007年5月30日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
イチローの「自分の体でいること」

 マリナーズのイチロー選手が、大リーグで日本人選手として初めて1000試合出場を果した。日本とはくらべものにならないほどのきびしい環境(半年で162試合、国の広さによる時差、気候差、ナイトゲームとデイゲームの混在など)の中での1000試合出場は、まさに「無事これ名馬」を地でいく快挙である。

 「04年にはシスラー(ブラウンズ)が保持していたシーズン最多安打記録を更新し、262安打を放った。シスラーは1千試合の時点で通算1411安打で、イチローはこの日通算1414安打となって安打量産ペースでも上回った。この打撃に、昨季まで6年連続ゴールドグラブの守備と6年連続30盗塁以上の走塁が加わる」(5月26日付朝日新聞)

 稀にみる攻走守三拍子揃った超一流、という以外に言葉もないが、同じ朝日新聞で「打席前にはストレッチを欠かさず、けがの予防に細心の注意を払う。体調管理の秘訣を問われると、『自分の体でいること』と短く答えた」(25日付夕刊)と書かれている。これは奇妙な答に思える。自分は他人ではないのだから、「他人の体」は明らかに「自分の体」ではない。自分は「自分の体」でいることしか、できないのではないか。それでもイチローは「自分の体」でいること、が体調管理の秘訣だという。

 「自分の体でいること」とは、一見、何の変哲もないような言葉に思えるが、一筋縄ではいかない、奥が深い言葉だ。体調管理の秘訣は何ですか? と訊かれて、「自分の体でいること」と答えられても、実はよくわからない。イチローの「自分の体」は、強く、しなやかで柔らかく、ムチのようにしなる鋼のような体であろう。そんな自分の体を維持するために、どんなことをしているのか、記者はそれを訊いたはずなのだ。結果としてあらわれた目標の姿が、手段として語られているような、ふしぎな感じにとらわれるのだ。

 どうすれば、自分の体でいられるのか、をこそ知りたいのだが、それを問うのは低次元、愚かなことだとイチローには思えるのかもしれない。しかし「自分の体」は、それほど自明のことではない。何とか「自分の体」をわかったつもりになっても、「自分の体でいること」は、日常的にもっと判然としない状態だ。大きなバイオリズムのようなものがあって、「自分の体」もその波にのって揺れ動いているような気がする。その変化も含めて、「自分の体」をいつも意識している状態でいること、なのか。

 外部から見える、たとえば鏡にうつる「自分の体」ではなく、内部感覚、一種の内臓感覚のようなものが、イチローにははっきりと感じられているということだろうか。野球の真髄を追求して、少しずつでも、たえず体を拡張、進化させていく。獲得された新しい体を、違和感のない「自分の体」として、常時感じていられる状況に、自分を置くこと、を意味しているのだろうか。

 イチローの言葉は、いつも私を刺激してやまない。

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