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vol.371-1(2007年9月26日発行)
岡崎 満義 /ジャーナリスト
長嶋亜希子さんを悼む

 長嶋茂雄夫人の亜希子さんが亡くなられた。ここ数年は厄介な膠原病で、苦しい闘病生活が続いていたようだ。長男・一茂さんが「長嶋茂雄という男を陰で支えるにあたって、人には言えない、我々家族にも言えないようなトラブルや、いろんなことがあったと思います。最後まで聞けませんでした。そういうことを顔にも口にも出さない、気丈な母でした」(9月19日付け日刊スポーツ)と語り、友人の徳光和夫アナウンサーも「長嶋さんは誰でもウエルカムな人だから、悪役を買って出て、人の振り分けや交通整理をしていた。肝っ玉母さんみたいな人で、彼女がいなかったら、長嶋家は崩壊していたと思えるほど」(同上)とコメントしている。

 この2人の談話だけでも、亜希子夫人の生活がおぼろげながら、想像できる。世紀のスーパーヒーロー長嶋茂雄を陰で支えるのは、どんなに大変なことだったろう。昭和のプロ野球だけでなく、全スポーツの中で、世論調査ではいつも長嶋さんが人気で断然トップの座にあった。双葉山、大鵬、織田幹雄、古橋広之進、力道山、白井義男・・・など、われわれ日本人に感動を与えた群像とくらべても、とび抜けて長嶋茂雄という存在は光っていた。みんなが熱く支持した。

 いや、スポーツの枠をはみだして、戦後史の中で最も日本人に愛されたのが長嶋さんである。私はかつて長嶋さんを「戦後最高の公僕」と言ったことがある。ONの王貞治さんが「打撃の技術は自分の方が上だと思うが、長嶋さんほどファンのことを考え、楽しませようとつくした人は空前絶後だろう」と認めているほどだ。「公僕」という言葉は、今や死語になっている。公僕であるはずの官僚たちの「私」のための犯罪が続発し、「公」はどこかへ行方不明の状態である。戦後民主主義を批判する人はあまたいるが、「公僕」長嶋茂雄を生んだことは大切な事実だ。まさに国民的な「公僕」として、清潔な無私の人として、日本人が最も愛したのが長嶋茂雄である。

 それを支えたのが、亜希子夫人の内助であろう。国民的な「公僕」となった夫は、もはや家庭人ではありえないだろう。外へ外へとひろがる「公僕」の遠心力を、亜希子夫人は内助という求心力で、けんめいに支えつづけたにちがいない。一茂さんの談話を読みかえすと、亜希子夫人は大きな孤独の中にあったように思えてくる。それは、愛情がなくなった、というような問題ではない。「内助」というもののもつ孤独である。それも「公僕」が払底した時代に、結果的に「公僕」でありつづけた男の内助は、ひどく孤独だったにちがいない。

 昔、内助はあたりまえのこととして、ほぼすべての家庭に存在した。男の甲斐性を女の内助が支えた。内助は社会的な価値として、認められてきた。内助文化、といってもいいものが、たしかに社会に広く存在したのだ。今はちがう。「内助」は「公僕」同様、死語に近くなった。専業主婦は少なくないが、内助文化を信じる専業主婦はいないだろう。内助を誇りをもって、あるいは同情をもって語る人は、男も女もほぼいなくなった。男女共同参画社会が時代の流れだから、それも当然だ。内助についての社会的な合意確認、あるいは価値が共有されないところで、内助をつづけることはどんなに孤独であることか。社会的に強いられた「内助」だった、といっていいだろう。国民的「公僕」として、どこまでも遠く広く飛んでいく夫を、内助することは、どれだけのエネルギーを必要とするだろうか。想像もつかないくらいの、厖大なエネルギーを必要としただろう。必要としたエネルギーが大きければ大きいほど、孤独もまた大きく、深いものだったにちがいない。ご冥福をお祈りいたします。

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