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vol.334-2(2007年1月10日発行)
杉山 茂 /スポーツプロデューサー
無用な反則シーンの場内映像再生

 スタディアム、アリーナに、いまや大型スクリーンは必需品、だ。

 テレビが、見るスポーツへの動機、という時代。

 競技場での観戦にも、再生(リピート)の仕掛けがないと物足りない。

 こうしたファンは、大型スクリーンのために、さらに増える。

 設備の整わなかった頃を懐かしむつもりは無いが、スタンドの雰囲気まで変わりはじめているのは、気になる。

 ラグビー界は、かつて観客に「見る責任」とでも言うべき姿勢を“期待"”していた。

 そのために、大衆化を遅らせてはしまったが、戦術、展開、ルールに精通した人を軸に1つひとつのプレーに反応があり、独得の空間が作られていた。

 その良さに、いつまでも自己満足していてはと思ったが、観客減少の危機感からか、90年代後半、反則の紹介など場内放送(アナウンス)を増やした。突然のサービス(?)に、最初のシーズンは、場内でどよめきに似た声が上った。

 そして映像再生、である。際どいトライに見せる選手の執念、顔つき・・・。ラグビーならではの迫力もあるが、テレビ中継に似た多用、乱用は考えものだ。

 1画面に情報が押し込まれるテレビと違い、現場には見逃せないアクションが無数に散っている。大型スクリーンへ視線を向けさせるのは、“限られた状況”だけでいい。

 今シーズン、秩父宮ラグビー場の再生では反則場面が、しばしば映し出される。

 難解なルールを分かり易く、という狙いは分かるが、いたずらに、一方のファンを怒らせるケースも少なくない。

 反則の多くのケースは、流れのなかで生じる。

 意識的な粗暴行為は起こらない、と信じあってこそスポーツだ。

 ところが、映像はカメラの位置、角度、再生の速度などで、流れのニュアンスを変えてしまうのである。

 年末の大学ラグビーでも、スローモーション再生したがために、怒号の飛ぶシーンがあった。実際のプレーは、“悪意のない”ものにも拘らず、だ。

 ラフプレー、あるいはその誤解を招くようなプレーは、場内再生すべきではない。

 極めて近いポジションにレフェリーの目があるのだ。

 その判断が1つの笛の音で、総てに知らされる。それでいい。

 スポーツをナマの場へ出かけて見る、とは、そういうことではないか―。

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