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vol.337-2(2007年2月2日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞大阪本社運動部記者
容認できない体罰容認の流れ

 政府の教育再生会議(座長・野依良治理化学研究所理事長)が1月末にまとめた第1次報告の内容がどうも気にかかる。緊急対応として挙げた中に「体罰容認」の方向に向かうのではないか、と受け取れる部分があるからだ。この会議が示した方向性をスポーツの世界に転じて考えると、いささかの危うさを感じざるを得ない。

 報告では4項目にわたって「緊急対応」が示されている。その一つ目にこんなくだりが出てくる。

 「暴力など反社会的行動をとる子供に対する毅然たる指導のための法令等で出来ることの断行と、通知等の見直し(いじめ問題対応)」

 このくだりに関する説明を読むと、昭和20年代に定められた「体罰の範囲等」についての通知を今年度中に見直すことを意味しているようだ。

 学校教育法11条では「体罰を加えることはできない」と定め、これに従って旧法務府(現法務省)が1948年に@授業を怠けたり、妨害したら教室外に退去させるA遅刻したら廊下に立たせるB用便に行かせない―なども「体罰」に当たると定義した。この原則が教育現場ではずっと用いられてきた。しかし、教育再生会議では「現状では毅然とした指導ができない」という意見が出され、通知が見直される方向になったという。

 確かに報告では暴力を使った「体罰」を認めているわけではない。だが、「毅然たる指導」とはどの範囲までを言うのか。この言葉が拡大解釈される可能性がないとは言い切れない。

 スポーツ界に話題を移せば、今も指導者や上級生による体罰は絶えない。私の担当する高校野球では、毎月1回、日本高校野球連盟が審議委員会を開き、1カ月間に報告があった不祥事の処分を協議するが、月に100件近くの案件がのぼることもしばしばだ。その多くが暴力問題である。

 昨年も九州のある学校の監督が選手を蹴飛ばしたり、ほおを平手で叩いたりした揚げ句、問題が発覚すると、学校や高野連に対しては「気合を入れただけで、暴力だとは思っていなかった」と話し、学校側も「生徒にも暴力行為という認識はない」と高野連に報告した。信じがたい感覚だ。

 気合を入れた。愛情の裏返し。しつけの一環。そんな言葉に「毅然たる指導」も加わって、暴力行為を正当化する指導者が増えては困る。学校スポーツの現場では今も体罰を公には認めずとも、内心では容認している指導者が多くいる。

 日本高野連の第3代会長、故・佐伯達夫氏の自伝を読んでいて、こんなエピソードに出くわした。68年に和歌山県の学校で部員間の暴力問題が起きた時、佐伯会長は学校に出向いて選手の前でこんなことを言ったという。「君たちに野球をやる資格はない。制裁を加えねば指導できないと考えることは“貧しい心”だ」。

 たとえ、何があっても言葉で諭すことが指導者や教育者のあり方ではないか。暴力であれ、廊下に立たせるのであれ、制裁を加えて指導することはとても容認できない。

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