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vol.351-2(2007年5月11日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞大阪本社運動部記者
アマチュアリズム再考

 日本高校野球連盟が中止を強く促したスポーツ特待制度の問題は、実施376校、適用部員7971人が違反対象となり、最後は高野連が学校裁量で選手たちの救済措置を認めるという形でひとまず落ち着いた。現場は大きく混乱し、高野連の姿勢も揺れ動いたが、一連の流れを取材していると、今のスポーツ界では死語とさえ言われた「アマチュアリズム」とは何か、を深く考えさせられる。

 久しぶりに清川正二・元国際オリンピック委員会(IOC)副会長(故人)の「オリンピックとアマチュアリズム」(ベースボール・マガジン社)を読んでみた。1986年の出版だから、21年前。その2年前のロサンゼルス五輪では五輪の商業化が問題となり、まさにプロとアマの論争が世界的に繰り広げられている時期でもあった。

 今回の特待制度問題をほうふつとさせる一文があった。「ミスター・アマチュア」といわれたIOCの第5代会長、アベリー・ブランデージ氏の語録である。その項のタイトルは「真のアマチュア選手とは」となっている。

 「現在はステート・アマ、スポーツ奨学金の選手および企業の選手が寛大に見逃されているばかりでなく、逆にこれらの選手になることが奨励されているのが実情である。またエリート・チャンピオンを作ることは大衆の願いだといって、若者をミス・リードしている」

 1964年インスブルックIOC総会での発言だ。「エリート・チャンピオンを作ることは大衆の願い」というくだりが現代と重なってくる。今風に言うならば「一芸に秀でた者の才能を伸ばし、国際的なトップアスリートを育成することは日本国民の願い」ということになるだろうか。

 清川さんは、アマチュアリズムの発祥として英国スポーツを取り上げている。貴族・大地主階級のレジャーであったスポーツが大衆化し、一般民衆が自由にスポーツに取り組むようになった。優秀な選手が生まれ、技術水準が上がり、「見るスポーツ」としても発展する。これが企業の関心を誘い、プロ選手に高給を支払うようになる。だが、英国社会は特権階級だけの「するスポーツ」に「見るスポーツ」の要素も取り込み、「民主化されたアマチュアリズム」をスポーツ思想として残したという。それが近代五輪に受け継がれていった。

 高校野球は日本に残るアマチュアリズムの最後の砦といえるかも知れない。甲子園大会ではフェンスの広告を消し、テレビ放映権料もとっていない。特待制度を選手が得る金銭的利益とみなすのも、その思想に基づいている。一方で日本の大半の競技は「エリート養成」や「商業的マネジメント」にまっしぐらだ。「するスポーツ」と「見るスポーツ」、アマとプロ。今回の問題を機に大いに議論したいテーマだ。

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