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vol.374-2(2007年10月19日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞大阪本社運動部記者
特待生の教育的価値を考える

 日本高校野球連盟からの諮問を受け、特待制度問題を議論してきた有識者会議(座長・堀田力=さわやか福祉財団理事長)が17日、答申書を提出した。「特待生は各学年5人以下が望ましい」とのガイドラインを設け、これを09年度から3年間暫定実施、その状況を見ながら日本高野連の最終方針を決めるよう求める内容だ。7月から始まった同会議は計6回、12時間に及ぶ話し合いを続けてきたが、今月11日の最終会合でも意見はまとまらず、結果的に3年間の暫定期間を設けることで議論は打ち切られた。

 私は一つの点に興味を持って議論を聞いていた。特待生はどのような教育的価値を持つのか、である。答申書が示した、そのくだりは以下のようになっている。

 「1.野球の部活動は、他のスポーツ部活動と同じく、教育的見地から認められる。現に、野球の部活動に精進し、優秀な成果をおさめる生徒は、その卓越した自己努力や他の部員との協調性などの面において、その人間性を成長させている。その成果は、学校を同じくする他の生徒にも感銘を与え、生徒たちの自覚と成長意欲を引き出す効果もあげている」

 「2.そのような教育的効果にかんがみれば、野球の部活動を通じて豊かな人間性を養い、優れた成果をあげると見込まれる生徒に対し、合理的な範囲で特別な待遇を行うことにより、その自覚や意欲をさらに高め、努力の継続による人間性の向上を図ることは、教育基本法及び学校教育法に定める目的にかなうものと考える。このような待遇を認めることは、生徒の能力の多様性に応じた高校教育を行う観点からも、適切であると考える」

 優秀な野球部員は学校の模範となり、他の生徒に好影響を与える。だから、特別待遇を与えられても良い、という論理だ。学校教育法は高校教育の目標として個性を伸ばす専門教育の必要性をうたっており、そうした法律を根拠に答申がなされた。

 優秀な生徒を金銭的に厚遇することは果たして教育的か。聞いていても、その点で深い議論が交わされた印象はない。いつの間にか、「特待生=模範=教育効果」の図式が出来上がったようにも見える。

 「5人以下」という枠はどのような変化をもたらすだろうか。具体的人数が掲げられたことで、野球部員の大半が特待生というような異常な状況は避けられ、野球留学する中学生の数も減っていくかも知れない。

 しかし、懸念材料も多い。「5人」という少ない枠をめぐって、野球特待生を目指す中学生は野球で実績を残すことに邁進し、指導者も「特待生になりたいのなら、しっかり練習しろ」とハッパをかけるだろう。その結果、「野球だけしていればいい」という意識がさらに強まらないか。高校側も枠が少ないのだから、確実に活躍してくれる、より優秀な選手を集めようと競い合うに違いない。成果主義と過剰な競争。そんな状況が助長される心配は消えない。ブローカーの介在も含めた不正な勧誘行為が水面下で行われてきた過去を振り返れば、特待制度は非教育的な動きと常に背中合わせにある。

 スポーツと学業を両立し、甲子園で活躍するような模範的な生徒がいれば、学校の知名度や評価を押し上げ、学校を活性化させてくれるだろう。だが、高校野球の目指す教育的価値とは本来そういうものだったか。地方大会の1回戦で敗れ去る球児たちやベンチにも入れない選手にも野球の素晴らしさを教え、野球部という集団生活の中で「生きる知恵」を身につけていく。そんな価値観をもう一度考えてほしい。3年間という試行期間、高校野球の関係者には何度も何度も問い直してほしい。

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