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vol.382-2(2007年12月21日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞大阪本社運動部記者
スポーツの特殊化を考えた1年
〜2007年を振り返って〜

 年末を迎えても、どこかぎこちなさが残っている。伝えようとしたことは正しかったのか、時代遅れだったのか。スポーツ界の進むべき道はどちらを向いているのか。そんなことを今年ほど考えた年はない。

 高校野球の担当をしていることもあり、この1年は特待制度問題の取材に最も多く時間を割いた。プロ野球、西武の裏金問題に端を発し、野球を理由に学費免除などの特別待遇を受けた約8000人もの高校生が日本学生野球憲章違反とみなされた。議論は高校野球だけにとどまらず、高校スポーツ、日本スポーツ、さらには教育問題にも波及した。

 だが、我々の行く先に道筋は見えてきただろうか。

 日本高校野球連盟の出した結論は、要約すれば、以下のようになる。特待生は各学年5人以下が望ましい。これを努力目標とし、09年度から3年間暫定実施する。その結果を見て12年度以降の最終的な制度を決める。

 東京で計6回、有識者会議があった。しかし、最終会合でも意見がまとまらなかった。人数の上限と罰則をきっちり設けるべきだという案。生徒の採用に競技団体が口を挟むものではなく、学校が制度を情報公開した上で人数制限は設けるべきでないという案。しかし、折り合いはつかず、折衷案として上記のような結論が答申として示され、日本高野連が受け入れた。多くの関係者が「意見が分かれているのだから、仕方がない。最終結論を決めるのは先のことなのだから」と考えて矛を収めた感は強い。

 数々の取材の過程で、スポーツジャーナリストの谷口源太郎さんからこんな内容のことを言われた。「強い者が勝ち、弱い者が負けていく。優勝劣敗、成果主義の世の中をおかしいとも思わない人が増えた。これは恐ろしいことだ」。特殊な才能を持った子供たちが特殊な環境で育てられ、そうした選手が一般社会と切り離されて日本のトップアスリートとなっていく。そのための競争が低年齢世代から始まっている。恵まれた環境で才能を伸ばすことの何が悪いのか、そうしないと日本のスポーツは衰退していく、と自信ありげに話す人が随分多かったような気がする。一面的には確かにそうかも知れない。

 しかし、谷口さんと同様、私はこんな時代に危うさを感じる。スポーツの上手な子と下手な子を分ける。スポーツをする子と勉強をする子を分ける。甲子園に出る学校と出られない学校を分ける。勝つ者と負ける者を分ける。そうやって、物事を切り離すことを当たり前だと思う社会になりつつある。だが、このままではスポーツは狭い世界に閉じこめられた特殊な文化となり、スポーツ選手は特殊な世界しか知らない特殊な人間とみなされるだろう。関東学院大や同志社大のラグビー部で起きた事件に象徴されるように、スポーツ中心の環境で育ったアスリートがスポーツのルールどころか、一般社会の法律をも破る罪を集団で犯している。

 そんなことを考えながら1年間を過ごしてきたが、読者やスポーツ関係者と「分かり合えた」という実感はいまだ薄い。格差社会と言われる中で、人々は“切り離し”に慣らされてきたのかも知れない。しかし、谷口さんが言う、恐ろしさにやがて気づき、いずれ原点に立ち帰る日が来るだろう。2008年は北京五輪の年。私の担当する高校野球も春80回、夏90回の節目を迎える。スポーツのあるべき姿をもう一度考え、何らかの道筋が見えてくる1年を期待したいと思う

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