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vol.403-2(2008年5月27日発行)
今城 力夫 /フォトジャーナリスト

「相撲よどこへ行く」

 横綱審議委員会の存在の意義をあまり感じたことは今までなかったが、今回の大相撲夏場所千秋楽(5月25日)結びの一番で起こった横綱朝青龍と同白鳳のにらみ合いに対し下した「“喧嘩”両成敗」の決定は、歓迎できるものであった。それにしても日本相撲協会の北の湖理事長は、白鳳のみに非があるとの判断であったそうだが、取り組みを観ていた者にとっては到底納得しかねることだ。白鳳が両手を土俵について明らかに取り組みが終了してから、朝青龍は“だめ押し”行為をしているわけで、喧嘩を売ったような非常に見苦しい光景であった。相撲界はやくざ社会のようなトラブルも絶えない状態であり、理事長たる者、もう少しスポーツとしての相撲を厳粛な管理と指導でレベルアップして貰いたいものだと常々感じている。

 千代の富士が横綱だった頃、彼が相手力士を持ち上げて土俵にドスンと落として注意を受けたことがあった。朝青龍に関して言えば、未だ記憶に新しいお国でのサッカー問題、また今回だけでなく土俵上でも闘志満々というよりはガキ大将の喧嘩の始まりを思わせるような光景を幾度となく見てきた。外国から日本へやってきて、相撲界という特殊な環境の中でトップの横綱に登り詰めたことには敬意を表するが、力士としての資質にはほど遠いような気がしてならない。これは彼本人のみに止まらず、事情はともあれやはり朝青龍を教育せずに横綱にした日本相撲協会と横綱審議委員会の両方にも責任がある、と考えている。

 スポーツのファンになることは、ただ競技を楽しむだけではなく、強いものへの憧れであり、また同時に自分にないものをファンになることで置き換えて補うことでもあるわけだ。ある者は一つの宗教に傾倒し、また音楽に心を惹かれる者がいるように、スポーツも広い意味での現代の神々の一つとして存在していると考えることに無理はない。それがあまりに下品であったり、醜態を作り出すイベントとなり、ファンを欺くことは断じて許されることではない、と思う。

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