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vol.384-2(2008年1月18日発行)
松原 明 /東京中日スポーツ報道部
「大学サッカーの監督」

 大学サッカーで伝統ある名門、早大サッカー部が、全日本大学選手権で優勝。13年ぶりの日本一になった。この背景には、OBの優秀な人材、大榎克己監督を起用。全力投球させた、OB会、大学当局、送り出した清水エスパルスの3者一体の努力が実ったものだ。

 早大は1部から2部、さらに3部の都下リーグまで転落し、だれも面倒を見る指導者がおらず、絶望的な状態だった。週1日のサンデー・コーチしかいない。OB会会長の鬼武健二氏(Jリーグ・チェアマン)は、困りはて、OBに当たったが、引き受け手がいない。清水のコーチだった、OB大榎克己氏に依頼、清水も協力を約束、2004年から3年契約で招聘した。

 Jリーグで結果を残した大学OBは数多いが、「大学の面倒を見て欲しい」と頼むと、問題になるのが生活面だ。「専任するなら無給ではやっていけない」と破談になるケースが少なくない。

 早大OB会は会員全員に援助を依頼、大榎氏の活動資金を支出。清水と年俸を分担し、生活を保障された大榎監督は単身赴任で、東伏見にアパートを借り、文字通り寝食を忘れて、学生に溶け込み、育て上げた。この親身になった指導がなければ、短期間に3部から一気に王座を勝ち取ることは不可能だったに違いない。

 「優勝するまでは」と、契約を1年延長。ついに、晴れの日を迎えた。大榎監督の際だつ成果は「教えた通りにやるロボットでは駄目。自分でフィールドに出たら考えて動け」と、道を開いたことである。そうするには、長い時間の話し合いが必要だった。学生に信頼され、彼らの言い分も聞き、流れに載せるのは、容易なことではない。他人に言えない苦労の連続だったと思う。

 「OBのUターン指導を」の、先鞭を着けたのは筑波大。水戸を退団。「大学院に再度入学して勉強し直す」と、戻ってきた木山隆之氏を2003年に監督に迎え、関東大学リーグに優勝したが、大学からは資金補助がない。OB会も援助できない。木山氏は夫妻とも懸命のアルバイトで生計を立てたが「もう、これ以上は無理です」と、退任。神戸ユース監督へ去った。以後、筑波大は人材が戻らず、今や、2部落ちの危機にあえいでいる。

 学生部員はどこも100人以上。多い大学は200人も超えるが、そうなると、専任者がいない限り指導どころではない。サッカー同好会になってしまう。

 流通経済大学が関東大学リーグ優勝、総理大臣杯優勝と、2部から昇格以来、短期間に王座を狙えたのも中野雄二監督が大学に専任、コーチ10人はプロ契約と充実したスタッフをそろえたことがある。大手運輸会社が資金支援をし、監督夫人が寮母になって、私生活の相談も受け、常に目を配る態勢を整えた。他の大学がうらやむ状態だ。

 法政大学も長い2部から脱却。優勝を狙える態勢になったのも、Jリーグで指導歴のある、川勝良一(神戸監督)水沼貴史(マリノス・コーチ)大石和孝(磐田コーチ)らの優秀な人材が戻ってきたからだったが、常時、となると、長期間は難しい。大石氏は今季で去った。

 大榎監督が清水へ戻った早大は、後任にOB今井敏明氏を起用したが、果たしてうまく行くかどうか。大学サッカーを良くするのは難しい。困難な問題をどうクリアするかにある。

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