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vol.385-1(2008年1月22日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
卓球・四元選手のファッション

 スポーツに本来、暗いスポーツ、明るいスポーツの区分けがあるはずがない。スポーツはスポーツだ、というのが正論である。スポーツをする立場からいえば、どんなスポーツもきびしいトレーニングで、大量の汗をかき、勝敗を争うことに変わりはない。ところが、見る立場からいうと、たしかに暗いイメージのつきまとうスポーツがある。とくに、テレビ中継によって、見る素人ファンが拡大されて、スポーツを感覚的なイメージでとらえる人がふえてきた、という事情もあろう。

 あえて“暗いスポーツ”をあげてみると―卓球、競歩、砲丸投、剣道・・・か。競歩を見ていると、あの不自然(?)な歩き方と腰のくねらせ方が何とも窮屈で、見ているだけでこちらの肩が凝りそうな感じだ。マラソンよりもっと苦しそうだ。砲丸投は、ヤリ投や円盤投、ハンマー投のように、100m近く空中を飛んでいく爽快感がなく、20mほどの距離を鉄球がドシンと鈍重に落下する、という感じが強い。ニュートンの重力の法則を感じるだけ。剣道は柔道にくらべて顔がみえず、面、胴、小手の重々しい防具をつけているだけ重苦しく軽快感がない。勝負もどちらが1本とったか、見分けがつかない。

 と書いてきて思うのだが、暗い、明るいはあくまで相対的なもので、スポーツの本質とは関係ないということだ。私は暗いといわれるスポーツも、見るのは好きだ。とくに、砲丸投などは何ともいえず面白い。これ以上はないというシンプルな力くらべは、選手の表情を見ているだけで、ワクワクしてくる。水泳の飛込みで、ナイフのように水中に突き刺さり、ズボッと小さく潜り、水しぶきも殆どあがらない風景は、シンプルなだけにスポーツの本質についていろいろ考えさせられるのだ。

 卓球はなぜ暗いスポーツ、といわれるのだろうか。テニスにくらべてグッと小さい台上で、目まぐるしく小さな球が飛びかって見にくいことが原因だろうか。以前、暗いイメージを払拭したいと、ホテルのディナーショーに組み込んだりしたこともあったように記憶する。

 先程行われた卓球全日本選手権で、四元奈生美選手(29)が華やかなコスチュームで登場したことが、大々的に報じられた。1月18日付日刊スポーツは「愛に勝っちゃった色女四元。五輪行けないけどド派手な存在感 虹色、パステル、ノースリーブお色直し2回」と一面トップに派手な見出しをつけ、「自らが公言するウェアで魅せる『卓球界の革命』をアピールした」と3様の大きなカラー写真とともに紹介した。さながらファッションショーのような華やかな感じではある。実力の方も混合ダブルスで準優勝したのだから、単なるファッションモデルでないのは事実だ。

 ユニフォームをカラフルにすることで、暗いイメージが消え、卓球界の革命につながるとはとても思えない。スポーツを芸能化することに私は反対だが、話題づくりに1人でチエをしぼった点、水色のノースリーブにジャンヌ・ダルクをイメージした点を買って、今回の四元選手の突撃精神に賛意を表しておきたい。

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