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vol.392-2(2008年3月11日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
高橋尚子の“いちばん長い日”

 まさか、まさかの高橋尚子の失速だった。北京五輪女子マラソン日本代表の残された一枚の切符を求めて、果敢に挑戦したのだが、その夢はかなわなかった。3月9日の名古屋国際女子マラソンで27位、高橋がこれまで11回走ったマラソンで自己最低の2時間44分18秒という記録、信じられないような成績で、高橋ファンはびっくりしたが、いちばん驚いたのは、高橋本人だったようである。

 レース後の記者会見をテレビで見たが、高橋は正直にレースについて語っていた。

 「昨年8月、右膝の半月板を手術しました。10月、やっと松葉杖で歩けるようになり、そのことを思うと、42kmを走れるようになったのはよかった。やることはやったので、悔いはありません」

 「レース前、アップの途中でおかしかった、とコーチにも言いました。でも、そんなことはよくあることだから、と気にしないようにしました」

 「5kmのあたりで、相当スローペースだと分かっていたが、我慢、我慢と思っているうちに、はなされていきました。何でだろう、何でだろう、これでは練習よりも遅いタイムになってしまう、と、ドキドキしながら走っていました。体が動かなくて、自分でも不思議な感じで、夢かなと思って走っていました」

 シドニー五輪の金メダルをはじめ、数々の輝かしい成績をあげた彼女、練習も誰にも負けないほどつみ上げてきている。初マラソンの1997年の大阪国際から数えて11年もの間、マラソン一筋に鍛錬してきた。それでも「自分でも不思議な感じで、夢かなと思って走っていた」というのだから、人間の体とはまことに謎に満ちたものだ、と思う。これだけ計画的に鍛え上げられた体でも、時と場合によって、なお分からない現象が体の中で起こってしまうようだ。
 
 敗因について、日刊スポーツの佐々木一郎記者は次のように書いている。

 「指導者不在が結果に影響したのかもしれない。『8月に手術を受けて、3月にマラソン復帰』。高橋の22年間に及ぶ練習日誌をめくってみても、このノウハウは書いていない。距離を踏んだがスピードへの対応ができなかった。にもかかわらず、優勝を念頭にスタートラインに立った。自分を客観視しきれなかった。引き出しの多い指導者がいれば、違った結果が出た可能性はある」

 自分を客観的に見る、ということは、どんな職業、どんな状況にあっても、誰にもむずかしいことだ。心身の微妙な変化をたえず意識しながら、自己をひろげたり、閉じたりしていかなくてはならない。マラソンという長丁場のスポーツでは、体の中を四季が通り過ぎるようなものではないか、と素人は想像してしまう。

 2時間19分46秒で走ったことのある高橋にとって、今回の2時間44分18秒は、どんなに長い時間だったであろうか。ゴールめがけて、時間がまっすぐにスピードにのって流れていくのではなく、ときにヨーヨーのように、自分の方に巻き戻ってくるような感じではなかったろうか。これも聞いてみたいことだ。高橋の体の中にある時間感覚、好調時と不調時の落差などについて、聞いてみたい。

 チームQはこれからも続けていくという。きっと、新しい人間関係から新しい“事業”の方向性を見つけていくだろう。高橋尚子への期待は、なお大きいのである。

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