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vol.400-1(2008年5月 7日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
競歩の山崎勇喜選手を応援する

 5月4日のTBSテレビ「情熱大陸」が面白かった。昨年夏の世界陸上大阪大会の50キロ競歩で、係員の誘導ミスがあり“棄権”扱いとなってしまった山崎勇喜選手の日常をとりあげたドキュメンタリーだった。作品としては表面をサッと撫でただけ、ひと筆描きのような淡白すぎるもので、もう少し製作者の思い入れが強く感じられる作り方もあったろうに、と思わせたが、取り上げた山崎選手と鈴木従道(つぐみち)監督という師弟コンビの人間性がまことに上質のもので、とても気持よく見ることができた。

 製作者の思い入れ、こだわりが強すぎると、へんにクサクなることが多々あるが、この作品にはまったくそれがなかった。質のいい、品のあるよい対象を見つけると、こんなに気持のいいドキュメンタリーに仕上がるのだ、とあらためて感じ入った。

 誘導ミスで入賞を逸した山崎選手は少しもそのことをうらむことなく、「僕の力不足でした。審判を責める気はない」と言い、「ぼくには競歩しかない。競歩をとりあげられたら、ぼくの人生には何も残らない。競歩はぼくの人生そのものです」と、何のてらいもなく、正直に語るのに、私は感動した。素朴な土の匂いのする人柄に、好感をもった。今時、こんなナイーブな好青年がいる!

 鈴木監督がまたよかった。こちらも少しも自分を飾ることなく、ぶっきらぼうに、しかし温かい情のある語り口が、実によかった。山崎選手の食事もすべて鈴木監督の手作りで、「食事は目で食べるのだから」と、無骨な手できれいに料理を皿に盛りつけるシーンがほほえましかった。

 失礼なたとえになるが、師弟ともふかしたじゃがいものようなホコホコした感じで、ああ、このコンビは競歩人生をまっ正直に歩いている人たちだ、と思わせるものがあった。

 鈴木監督はかつて、女子マラソンの浅利純子選手を育てた指導者だと知ったが、浅利選手も名前の通り純朴な感じの選手だった。類は友を呼ぶ、とはこのことだろう。マン・ツー・マンの指導が多いスポーツでは、こういう幸福な師弟関係は多いのだろうか。

 競歩という競技種目が、テレビでうつされることはまずない。20キロ、50キロという長丁場、4時間近くかかる競技、しかもあのクネクネとした奇妙な歩き方で、見ているだけで肩がこりそうになる競技は、およそテレビ向きではない。

 しかし、テレビ向きでないスポーツも、私は好きだ。水泳の飛込み、高いところから落下してきて、水しぶきもあげないでズボッとナイフのように水につきささるだけだが、そのシンプルにして地味なところが面白い。砲丸投げもそうだ。ヤリ投げ、円盤投げ、ハンマー投げのような空中を鮮やかな弧を描いて飛んでいく爽快感がない。重い鉄球が20mばかり飛んで鈍重にドスンと落ちる。それでも1964年東京オリンピックで女子砲丸投げのタマラ・プレスというソ連選手(当時)のまん丸の顔、まん丸の体を見てファンになった。そして競歩。長丁場レースでもマラソンやトライアスロンはテレビが好むが、競歩はテレビ外存在。こういうテレビ中継に向かないスポーツ競技は、ドキュメンタリーなどで何とか取り上げる工夫をしてほしいものだ。

 「情熱大陸」を見て、すっかり山崎選手のファンになった。北京オリンピックの日本代表にも決ったようだし、何とか中継放送がないものだろうかと、はかない期待をしてみたりする。山崎選手と鈴木監督のコンビが北京で花開くことを願っている。

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