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vol.415-1(2008年9月9日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
梅原猛さんの「サムライ」論

 水に落ちた犬は打て、とは、魯迅の有名な言葉だが、野球の星野仙一、日本代表監督がいまや落ちた犬と化して、打たれつづけている。9月8日付東京新聞夕刊の連載コラム「思うままに」で、哲学者の梅原猛さんが「サムライがいない」と、大いに怒り、嘆いている。

 「ソフトボールでは、準決勝から決勝までの計三試合四百十三球を一人で投げ抜いた上野投手をはじめとする実によくまとまった選手たちの活躍によってみごとに金メダルを獲得したが、野球のほうは、星野監督が『金メダルしかいらない』と豪語していたにもかかわらず惨敗し、銅メダルすら獲れなかった。この男女の対比はあまりにも著しく、星野監督は上野投手の爪の垢でも煎じて飲むべきであろう」

 「私は常々、日本にサムライがいなくなったのを嘆き続けていた。たとえば芸術家や学者においても、大きな誇りをもち、命を賭けて自己の仕事に邁進するサムライはまことに少なくなった」

 「私は、現在日本で人気のある格好よい政治家の多くは偽サムライであると思っているが、星野監督も偽サムライの一人ではないかとひそかに疑っていた。その偽サムライの仮面が今回のオリンピックによってみごとにはがされた」

 「しかしサムライはまだ女性の中に残っていたのである」

 梅原さんはソフトボールのほかにも、サッカーなでしこジャパン、女子柔道、女子レスリングを男子チームとくらべて、ずっとサムライであった、と言う。

 星野ジャパン批判はすでに書いたからくりかえさないが、こんどのオリンピックにおける野球とソフトボール、男女のサッカーをくらべて誰の目にもはっきりしていることは、飢餓感があるかどうか、である。ソフトボールも女子サッカーも、日本ではマイナーな存在だ。観客が少なく、テレビ中継もない。給料だって、男子の10分の1〜100分の1、程度だろう。とにかく、オリンピックという4年に1回の大舞台で勝たないことには、誰も目を向けてくれない、という、ひりひりするような飢餓感が、彼女たちを前へ前へと押し出したのだと思う。

 2つもエラーしたG.G.佐藤を、次の試合でも使った星野監督は「エラーしたままでは日本に帰ったとき、顔が立たないではないか」と言った。なんともヤワな情の世界である。とても真剣勝負のサムライの考えることではない。顔をを立ててやるつもりで使って、またまたエラーした彼を見て、星野監督はどう責任をとるというのだろう。こんどはどうするのだろう、と思った。

 とにかく、日本のメジャースポーツである野球と男子サッカーは、オリンピックに行くべきではないのだ。WBC、ワールドカップという、メジャーなプロの世界の祭典があるのだから、そこでカッコよくやればいい。オリンピック精神も今や行方不明になって、商業的な紙風船化したかに見える。そんなところへ、金メダルほしさに乗り込む方がおかしいのだ。

 ソフトボールの上野由岐子投手へ贈る七言古詩を一首つくったので、ご披露する。

 怒髪衝天鉄女球 怒髪天をつく鉄女の球
 紅毛碧眼失自由 紅毛碧眼(アメリカ)自由を失す
 与朋呼号勝勝勝 友と呼号す勝つ勝つ勝つと
 掌裡金牌万感周 掌のなかの金メダルに万感あまねし

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