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vol.417-1(2008年9月24日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
北京オリンピックを短歌で

 スポーツ・ノンフィクションを読む楽しみのひとつは、劇的(と筆者が思う)シーンをいかに鮮烈に描写してみせてくれるか、いかに精緻に、生き生きと再現してみせてくれるか、その再現力を見ることにある。テレビ中継があれば、それ以上のものはない、ましてやVTRがあるのだから、何回でも劇的シーンは見られる、それで十分だ、という人もある。しかし、そうではない。目の前でくりひろげられるスポーツは、瞬間的に煙のように消えるものだ。煙のように消える瞬間の真実を、自分なりの残像としてたくわえ、それをくりかえし反芻することによって、そのスポーツの珠玉の瞬間を確認する喜びは、何物にもかえがたい。100分の1秒を争うようなスポーツに、文字の力、表現力は、観察力と想像力を駆使することで、かえって大きな力を生むものだと思う。ノンフィクションライターの力の見せどころだ。

 スポーツの美はどこか詩に通じあうものがあるように思えてならない。詩を感じる力が、豊かな再現力のもとになるように思う。スポーツを詩の中にすくいとるのは、容易なことではないが、それをやってみたい、という気持ちになる人も少なくないはずだ。

 北京五輪で行われたさまざまな種目を詩に定着させよう、とするアマチュア歌人の作品を、朝日新聞読者歌壇でも見ることができる。

 ・手を離れ飛びゆくハンマー睨みつつ雄叫び上ぐる手にまだ力(高崎市宮原義夫)
 ハンマー投げの室伏選手をうたったものだろう。「手にまだ力」が作者の発見だ。

 ・柔道に朽ち木倒しの技ありて生身の男どうと倒さる(春日井市伊東紀美子)
 多分、優勝候補の筆頭だった100キロ級の鈴木桂治選手が、初戦、敗者復活の初戦であっけなく敗れた姿を描写したものだろう。「どうと倒れる」ではなく「どうと倒さる」というところに、鈴木選手と一体となった作者の悔しい気持ちがよくでている。

 ・身をしぼり鮎が落差をのぼりゆく棒高飛びをスロウで観れば(宗像市巻桔梗)
 ・腹這いに天の底ゆく世界新プールの底より泳ぎを見れば(佐世保市草葉弘太郎)
 この2首について、選者の佐佐木幸綱さんは、前者は「限界にいどみ跳躍する人体と魚の姿態の類似性。オリンピックの映像に取材して秀抜である」とし、後者は「水泳選手を下から仰ぎ見た映像。『腹這いに天の底ゆく』がユーモラスで、楽しい」と批評している。

 この2首はテレビカメラの新技術、スロービデオと水中カメラによる映像の中に、新しい詩を発見している。映像の中のスポーツ、という新しい環境にも、しぶとくくらいつく詩心が感じられてうれしくなった。

 私はほぼオリンピックでしか見られない水泳の飛込みを、七言絶句で表現してみた。できるだけ水しぶきをあげないよう、スボッと水面に直角に突き刺さる感じを表現したかった。

 見跳水  飛込みを見る
遊泳池頭妙舞新 遊泳池頭(プール)に妙舞新たなり
瞬時蹴板忽投身 瞬時に板を蹴り忽ち身を投ず
恰如宝剣刺青絹 あたかも宝剣の青絹を刺すが如し
水沫些飛得意人 水沫わずかに飛ぶ得意の人

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