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vol.427-2(2008年12月4日発行)

岡崎 満義 /ジャーナリスト
「サムライ」と「なでしこ」

 WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の監督に原辰徳巨人軍監督が決まり、コーチ陣の顔ぶれもそろった。選手選考で必ずしも12球団の足並みが揃っているわけでもないようだが、来年3月までいろいろ話題になりそうだ。最近、スポーツ紙にWBC日本代表を「サムライ・ジャパン」と表記する記事がチラホラ見られるようになった。

 この場合の「サムライ」は日本のシンボル、外国人にも分かる言葉で、強くたくましいという意味が込められているのだろう。何年か前、サッカーの日本代表が着た青いユニホームを、「サムライ・ブルー」と称したことがあったように記憶する。闘う集団に「サムライ」はふさわしい、と考えたのだろう。(W杯でコロッと負けたから、その後「サムライ・ブルー」は聞かれなくなったが。)たしかに、日常的にも「あいつはサムライだからなあ」などと使ったりすることもある。勇気のある、肝のすわった、頼り甲斐のある男、という位の意味で使われている。プラスのイメージである。

 しかしながら、「サムライ」がスポーツに使われるとき、いつも私はある種の違和感を覚える。いまの世界的金融危機状況の中で、サムライ債などという金融商品が出回っていることを知ったからではないが、「サムライ」がいつもプラス・イメージとは限らない。江戸260年の間に武士「サムライ」は闘う男というより、お家大事のサラリーマンに化した存在だ、と思うのである。今の官僚や会社員に近いものだろう。そういうイメージがあるので、スポーツに使う言葉として、あまりふさわしいとは思えないのだ。

 サムライは宮本武蔵のような剣客のイメージだ、と言う人があるかもしれないが、チームスポーツとはかけはなれて、なじまない。忠臣蔵の赤穂浪士47人、少数精鋭の戦闘集団をイメージする人もあるかもしれない。たしかに、忠臣蔵は小説、映画、テレビドラマ、舞台・・・など、何回見てもいつも面白い。正月の定番ドラマ、私は必ず見る。しかし、あの面白さは、目的を達するまでのプロセスでいろいろ苦労するとこにあるのであって、大雑把に言ってしまえば、忠臣蔵の闘いとは一人の老人の首をとるだけの私刑(リンチ)行為である。スポーツにはなじまないイメージだ。

 そんなふうに考えると、「サムライ」にはマイナス・イメージも多々あることが分かる。少なくとも、チームスポーツに冠する言葉として、あまりふさわしいものとは思えない。一考を要する言葉だ。

 女子サッカー日本代表を「なでしこジャパン」と呼んでいる。昔からある「大和撫子」という、一般的に日本女性の美称であったものが、近頃、女性スポーツの大々的な進展、それもひと昔前までは、男性が独占していたジャンルへ「女だてら」に乗り出して、しかも世界レベルで闘える実力をたくわえてきた女性アスリート集団に「なでしこ」は、なかなかよく似合う。「なでしこ」にはなでしこの花の美しさと、亭主を尻に敷きかねない山の神的な強いイメージも隠されていて、このネーミングは成功しているように思う。

 名付け、というのはむずかしい。親はわが子にどんな名前をつけようか、あれこれみんな悩む。スポーツのチームにニックネームをつけるのにも、一工夫、二工夫がほしい。

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