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vol.400-1(2008年5月 7日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター
「水着が決め手」でいいのか

 スピード社の水着をめぐる騒動には、いくつかの面で違和感がある。泳ぎのパワーや技術、すなわち競技力そのものではなく、水着という道具が勝負の決め手となるがごとき話は、やはり不自然ではないのか。

 英スピード社の「レーザーレーサー」がきわめてすぐれた機能を持っているのは間違いないようだ。日本選手が練習で着てみたところ、たちどころに記録が伸びたという。これが勝負の結果にかなりの影響を与えるのは否定できない。なのに、他のメーカーと契約している日本選手団はそれを使えないのである。競技に、とりわけ間近に迫ったオリンピックにすべてをかけようというトップスイマーたちが驚き、顔色を失ったのは当然だろう。

 ただ、水着は水着、道具は道具だ。それが競技の主役のように扱われてしまうのにはどうしても違和感がある。

 これは第一に競技連盟の問題だ。「レーザーレーサー」は規定に違反するものではないというが、水着がこれほど大きな影響を与えるようになっている状況は、一刻も早くたださねばならない。用具が勝負を決めるようなことがあっては、水泳という競技は成り立たなくなる。

 国際水連には根本的な対応を望みたい。用具の進化と競技との関係をあらためて考えたうえで、それが勝負に過大な影響を与えないようにする方向性を探っていく必要がある。メーカーが熾烈な開発競争を繰り広げるのは当然で、それはスポーツの普及や進歩にも直結していく重要な側面だが、用具で記録や順位が変わってしまうのなら、今度はそのことが競技自体の否定につながりかねない。そんな状況を招かないように、用具が競技に与える影響を一定の範囲におさめておく枠組みが、ぜひとも必要だ。

 現場サイドにとっては死活問題である。この水着を是が非でも使いたいのは当然だし、使えることになればそれにこしたことはない。だが、「違約金を払ってでも、スピードの水着を着られるようにすべきだ」などという声は、いささか感情的に過ぎるように思う。他のメーカーも最先端の用具をつくっているのだろうし、たまたまよその水着が高機能だからといって、それがなければ始まらないとばかり叫ぶのは、すべての水泳選手の手本となるべきトップスイマーにふさわしい態度とはいえない。もちろん主張すべきは主張しつつ、道具には振り回されないという姿勢をあくまで堅持してほしいと望むのは酷だろうか。

 とはいえ、競技に平等性が欠かせないのは言うまでもない。国際水連は、現状の中で平等、公平を確保する方策も急ぎ考えなくてはならない。各国の水連にも、その点について知恵を出し、意見を述べる義務がある。

 これはスポーツにとって軽く考えることはできない問題だと思う。水着の差で勝負が決まるというイメージが広がってしまえば、水泳に向けられる視線は冷たいものとなるだろう。スポーツファンもそっぽを向くに違いない。関係者に、早急かつ根本的な対応が求められるゆえんである。

 身ひとつで泳ぎ、記録を競う。水泳は、人間の肉体の可能性を単純明快な形で見せてくれる爽快な競技だ。その本質を少しでもそこなうようなことがあってはいけない。まして、豊富な資金力や有力メーカーのバックアップがなければ勝てないようなことになってはならない。頑健な体と強靭な心、それに水着ひとつあれば、常に可能性が開けている。そんなスポーツだからこそ、水泳は数々の名選手を生み、感動のシーンを積み重ね、みんなに愛されてきたのではないか。

 その爽快さ、明快さをいつまでも保ってほしい。ファンもこぞってそう願っているはずだ。各水連をはじめとする関係者には、課された責任の重さをはっきり感じとってほしい。

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