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vol.416-3(2008年9月19日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞大阪本社運動部記者
パラリンピックの成績後退をどう考えるか

 北京パラリンピックが閉幕し、日本の獲得したメダルは27個(金5、銀14、銅8)と、過去最多だった前回アテネ大会の52個(金17、銀15、銅20)を大幅に下回った。この成績後退にどんな意味があるのか、一考の余地はありそうだ。

 日本の関係者の間では「海外に比べ、障害者スポーツに対する支援が少ない」という声が大勢のようだ。北京パラリンピックの代表や2010年バンクーバー冬季パラリンピックの強化選手200人(回答152人)を対象に行った「パラリンピック選手の競技環境」という日本パラリンピアンズ協会の調査報告書によれば、81・6%の選手が「遠征費」、76・3%の選手が「合宿費」を自己負担している。苦労する点についても「費用が掛かる」が82・9%と圧倒的に多く、「練習場所がない」も42・8%だったという。

 世界の障害者スポーツのレベルがより高度になり、今回は五輪と変わらないレベルを持つ選手まで現れるようになった。その代表格といえるのは、左ひざから下を失った南アフリカのスイマー、ナタリー・デュトワ。彼女は五輪新種目のオープンウォーターに出場して16位となり、パラリンピックでは競泳5種目制覇を成し遂げた。

 同じく南アのオスカー・ピストリウスも幼い頃に両ひざから下を切断しながら義足で競技会に参加してきた陸上選手だ。健常者の大会出場をめぐっては、カーボン製の義足が推進力を高めるとの意見もあり、国際陸上競技連盟(IAAF)との論争に。その結果、スポーツ仲裁裁判所が出場を認める裁定を下し、五輪代表選考につながるレースに出場できた。最終的には五輪代表に選ばれなかったものの、パラリンピックでは百、二百、四百bで3冠を達成した。
 
 このように、パラリンピックの世界トップ選手は五輪選手と変わらぬ実力を備えるようになってきた。そこで日本の障害者スポーツは今後、どんな発展を目指すべきなのか。
 
パラリンピックに出場した選手たちは「競技に専念できる環境を」と訴えている。ある選手のコメントを読んだが、彼は「仕事をしながらでは勝てない」と話していた。強くなるには健常者であれ、障害者であれ、競技に専念した方がいいに決まっている。だが、障害者スポーツの本来的価値は何なのか、その意味を問い直す必要はある。

 職場などの一般社会から切り離され、スポーツだけに専念する環境が本当に障害者のためになるのか。資金援助や競技環境の整備がトップ選手だけのものであっていいのか。今、私たちの生活の周囲に障害者が気軽に取り組めるスポーツ環境はきわめて少ない。そんな現実を考えれば、一人でも多くの障害者がスポーツに触れられる環境を何よりも優先して充実させるべきではないか。

 五輪と同様、パラリンピックもメダル獲得数が注目されるようになってきた。そして、プロ的環境を求める選手たち。だが、メダルという結果よりも、スポーツを通じて何かを得ていく過程にこそ価値はある。それは健常者のスポーツの世界でも全く同じだ。トップと底辺のバランスのとれた支援と発展。注目を浴びる今だからこそ、パラリンピアンたちが続けて声を上げてほしい。

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