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vol.418-2(2008年10月3日発行)
滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者
侍ハードラーの葛藤

 陸上男子ハードルの第一人者、為末大(APF)が「進退に関する会見」を東京都内で開いたのは1日のことだ。世界選手権では2度銅メダルを獲得し、シドニー、アテネ両五輪にも出場したが、今年はふくらはぎやひざの故障に苦しみ、3度目の五輪となった北京の本番では予選敗退という結果に終わった。30歳という年齢からも引退濃厚かと思われた。しかし、為末は「やはり走りたいという気持ちには逆らえない。ボロボロになるまで走り続ける」と語り、現役続行の意志を表明した。

 為末が毎日新聞に連載しているコラム「ハードラー進化論」(9月17日付)に、心の葛藤がにじんでいた。標高3400bにあるペルーのクスコという街から送られてきた原稿だ。歩くのも辛い高地で、地元の子供たちは笑いながら走っている。そんな姿を観察しながら、為末は人間の能力とは何か、走ることとは何か、五輪とは自分にとって何かを考える。

 「勉強も球技もできなかった私は、皆にほめてほしくて走り続けてきた。だが競技人生が終盤に近づくにつれ、何のために走るのかを求め始めた。意味を問い始めてから私の陸上は終着点が無くなり、霧の漂う山中をさまよっているようだった」

 為末は走ることは論理で解明できると考え続けてきたという。どうすれば速く走れるか、技術的には理解できているし、説明もできる。しかし、何のために走り、何のために人と競い合うのかは五輪を3度経験してもわからなかったというのだ。

 「閉会式、その意味がわかるはずだった鳥の巣の喧騒(けんそう)の中、一人たたずんでいた。結局何もわからない。わかるのは、わからぬことばかり。そういう心境で私の五輪は終わった」為末はコラムをそう結んでいる。

 記者会見では現役続行に至った思いを淡々と打ち明けた。「苦しい思いは若い時よりも多くなりました。今後、自分の力が今より落ち込んでいくことも予想できる。負けるようになるまで陸上を続けることに意味があるのか、と以前は考えていた。でも、負けても気にならない瞬間があって、ボロボロになっても走りたい、代表になれなくても、というように心境が変化したんです」

 競技を究めたトップアスリートはこんな風に考えるのかも知れない。ただ勝ちたい、強くなりたいという段階を突き抜けると、為末が言うように、そこには濃い霧が漂っている。なぜ競技をするのか、いつまで競技を続けるのか、そこにどんな意味があるのか―。「結局、何もわからない」という言葉の持つ意味は重い。

 今後は海外に拠点を移してトレーニングを続けるという。4年後のロンドン五輪を目指すことになるが、本当の目標はそんなところにはないだろう。為末は「なぜ走り、なぜ人と競い合うのか」という霧に光が差し込んでくるまで走り続けるに違いない。侍ハードラーと呼ばれた男は会見でこう言った。「最後はヨーロッパの片隅の記録会で終わるのも自分らしいかなあと考えています」

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