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vol.432-2(2009年1月15日発行)
松原 明 /東京中日スポーツ報道部
大学サッカー中大16年ぶりの王座
    (サラリーマン監督の凱歌)

 シーズン最後を飾る全日本大学サッカー選手権大会は、中央大学が16年ぶりの王座を飾った。これで通算8回目の日本一は、筑波大学と並んで史上2位タイ。天皇杯、大学リーグと多く優勝している名門大学は、久々に復活した。中大の特徴は専任監督を置かず、週末だけ指導に来るサラリーマンの佐藤健監督(50)が栄冠をつかんだことである。

 近年、100人を超える多人数の部員を抱える各大学は部員管理と指導に当たるため、ほとんどは講師、職員、プロ・コーチとして迎えているのが共通点だ。しかし、中大は1927年のサッカー部創立から、一貫して学生にはボランティア指導を貫いてきた。佐藤監督は2006年にコーチから昇格したが、会社務めの傍ら限られた指導体制でやってきた。「専任監督で密接指導するのがベストなのは分かるが、私のような行き方も、それはそれでいいのではないですか。週末に臨むため離れているときは、何か新鮮なものを求めて考える。そして、学生に出会うときに、アイデアを出す。お互いに話し合う。これで、別に不足はない」。

 不在のときは、卒業以来コーチに転向した白須真介に任せた。彼は7年間の下積みを経て、Aチームの運営を全面任せられるほどに成長した。45年もの間、独力で指導していた、丸山義行監督が引退したあと、須藤茂光、山口芳忠(ともに日立製作所のOB)監督がつなぎ、信藤健仁ヘッド(OB。現在浦和レッズTD)が助け、今の佐藤体制になった。白須コーチは、歴代監督のノウハウを身につけ、信藤の最新戦術を頭に入れ、先輩監督から学んだものを自分のものとし、自信を持って現役指導に生かした。「彼が十分やれたのが私の土台です」と、佐藤監督はアシスタントを称えた。二人三脚の名コンビになった。

 中大は八王子郊外の多摩動物公園そばに専用練習場を持っているが、芝生は荒れ、どろんこの土のグラウンドで「芝生でやりたい」というのが夢だった。学校側が人工芝に改修してくれたのは、まだ数年前。グラウンド整備の苦労を乗り越えての王座だった。部員は69人の関東大学リーグ最小編成である。OB会も学校側も監督へは何も報酬は出していない。父兄会からの交通費援助があるだけの、まさに、手弁当での活動だった。現場スタッフの情熱がなければできることではない。

 「どんな環境でもサッカーを楽しくやれる。試合に集中する。粘り強くプレーする。この中大の精神は昔から変わりません。私たちの現役時代もそうしてきた。それと同時に社会人として、恥ずかしくないマナーを身につけさせのも私たちの大事な仕事です。だから、山形主将(DF)がチーム・リーダーとしてゆるがなかったのが大きい。彼が推進役となりチームをまとめた総合成果です」と、佐藤監督は言う。

 中大と決勝を争った筑波大とは親密な仲だ。定期戦を結んでちょうど80周年になる。筑波大は前身の教育大学時代から「教員になって全国へサッカーを普及させる」中大は「社会人になってサッカーを広める」というお互いの目的意識が一致して提携した、という。

 筑波大もOBコーチの還元指導体制を取り、監督は原則無給のボランティア、中大と同じやり方だ。この両校が日本一を争ったのも偶然ではない。専任監督を置くのが大事なのではなく、指導内容を濃くし、常に学生の自覚をうながし、自立できるようきちんと導くのが、いかに大事か、を教えたのだろう。

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