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vol.470-1(2009年12月7日発行)
松原 明 /東京中日スポーツ報道部
「反町監督の革命」

 J2リーグで湘南ベルマーレが10年間の長い2部暮らしから抜け出し、11年ぶりにJ1へ復帰した。「長くよどんでいた空気を変えないと。このままでは終われない」という真壁社長の要請を受けて、北京五輪代表監督から、古巣・湘南へ戻った反町監督の数々の改革がとうとう最後に実ったのだ。

 昨年の反町監督は12月26日の就任披露から、まず、電車通勤した。東京の自宅からホームタウンの平怩ノ通った。町では、だれも反町、とは気づかない。それより、市内にまるでサッカーの気配がなかった。「町起こしで市民を動かさないと盛り上がらない」と、自ら陣頭に立つ決意を固めた。

 北京の完敗で失意のまま、イングランドのプレミア・リーグ練習を見学。サッカーの原点を改めて再認識した。それに、当時の日本代表監督、イビチャ・オシム氏と接して「監督はどうあるべきか」を学んだのが大きい、という。

 「僕は監督指揮の基本も良く理解していないまま、新潟、五輪もやらせてもらった。だが、選手とどう接するか、どうチームをまとめるか、の考えを吸収できたのは、復帰の土台になった」という。「選手は分け隔てしない」のが、今季の基本原則だった。J2リーグのように、年間51試合ものロングランになると、メンバーが次第に固定され「いくら練習していても、振り向いてももらえない」という不満が渦巻いてくる。それが、チーム分裂、内紛の引き金になる。そういうクラブが少なくない。だから、練習、サテライト、紅白戦。必ず反町監督は出て、全部の選手に目を配った。練習でいいパフォーマンスを見せた選手はすぐにベンチ入りさせ、例え短時間でも出場させた。常に「やれば使ってもらえる」基本方針を貫いたからこその成果だった。

 昨年までチーム主将はDFジャーンだったが、今季は日替わり制にしたのも「全員平等に責任を持つ」という一貫した指導方針だった。ミーテイングはビデオ、ボードを使い、長いときは1時間も超すが選手はアイデアや、疑問点を自由発言。決して押しつけるようなことは言わない。紅白戦も自ら中央で指揮を採るが「選手は自分でどうやるか、常に考える」ように流れを作った。「キミはこうプレーしたが、こういうアイデアもあるよ」と、助言した。「ベンチを見るな、自分で考えるのがサッカー」と、就任以来言い続けた。

 開幕の5連勝、第1クールの12勝のダッシュは大きな自信になり、その後、何度も襲ったピンチを切り抜けたのも、この自主性を身に付けたイレブンが、自分たちでつかんだものだった。

 新潟が解雇したMF・寺川、GK・野澤、さらに京都から戦力外通告を受け、韓国へ渡ろうとしていたFW・田原を再生させたのも、チーム作りに溶け込ませた監督の指導だった。

 一新されていたスタッフの中に単身飛び込み、彼らの考えを聞き、そのアイデアをどんどん採用した。

 反町監督の献身的なやり方に感動した、練習場(馬入)の主任グラウンド・キーパー、安島大輔さん(35)は「あの監督のためなら。反町を必ず男にしたい」と、全力で手入れし、監督の注文通りのピッチに仕上げた。「馬入のピッチは最高。だから故障者も少なかった」と、反町監督は裏方の協力に感謝したほど全員まとまっていた。

 ホーム16勝2敗8分けの好成績は仙台に次ぐリーグ第2位。勝つたびにファンは増え、今季は降格以来最多の18万9088人を動員。市民を呼び寄せる“町おこし”の狙いは成功した。

 親会社の撤退でどん底に落ちた湘南は、ついに生き返った。

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