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vol.454-1(2009年6月22日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター
さて、彼らの危機感は?

 危機と言わねばならない。またしても大学スポーツ選手の不祥事が起きた。近畿大学ボクシング部の現役部員2人がやったのは路上強盗である。通行人に因縁をつけて殴り、金を奪うという手口で、これまでに十数件も繰り返していたという。強豪チームの一流選手が、まるで常習的な犯罪者のように振る舞っていたのかと思うと、慄然とせざるを得ない。

 それにしても、この荒廃、この無軌道はどうしたことだろう。仮にも名の通った大学の学生ではないか。しかも大学の名門スポーツ部の選手というのは、誰でも簡単になれるものではない。いわば選ばれた存在である。たとえ選手として成功しなくても、部員であるだけでさまざまなプラスもある。そうした直接的な利益さえ忘れてしまうほど、衝動的で考えなしの行動をとっていたというわけだ。信じがたい振る舞いというしかない。

 今回の事件は指導の欠落も示している。部長、監督、コーチらの指導者がいささかなりとも人間的な影響を与えていれば、少なくともこれほど無思慮な犯罪に走ることはなかろう。指導者たちは日々どんな形で選手に接していたのか。

 これはまさに「劣化」だ。フェアプレー精神やトップアスリートの誇りなど、どこかに消し飛んでいる。名門チームとしての矜恃や気取りさえない。スポーツを愛する思いなど、どこにも感じられない。すべてではないにしろ、大学スポーツの一部では、そんなふうに劣化が進んでいるということなのである。とすれば、これはもう大学のみならず、スポーツ界全体の危機というべきだ。 

 なぜ、こうなってしまったのか。なぜ、これほどまでに不祥事が相次ぐのか。大学スポーツの体質そのものをまず考えねばなるまい。学校の名を広めるためにスポーツの強化をはかる大学がますます増え、競技の実績だけで入ってきた選手が、まるでプロのように練習に専念するというケースが少なくないのではないか。よくいわれる「広告塔」である。どの学校も、競技だけでなく授業も大事にしているとはいうが、現実はといえば、そうはなっていないように思える。学生として幅広い視野を持ちながら、さまざまな経験を積むということもなく、競技の結果だけを期待されていれば、常識を欠き、いびつな意識を持つようにもなるだろう。スポーツマンシップや競技者の誇りを持たない選手は、どんなに優秀でもただの競技マシンのようなもので、ひとつ間違えばあらぬ方向に暴走することになるのだ。
 
 ただ、これは大学だけの問題ではない。スポーツ界全体で同じように、憂うべき状況が広まりつつあるように思える。
 
 スポーツがビジネスになり、宣伝広告になり、イベントのネタになり、選手はタレントのようにふるまう。そんな時代である。つまりは、スポーツ本来の姿があちこちで崩れかけているということだ。言い換えれば、文化としてのひとつの表現ではなく、ただの勝負ごとになってしまっているということでもある。となれば、今回は大学スポーツ界で現れたような劣化が、これまたあちこちで見られることになるだろう。

 今回の事件で近大ボクシング部は廃部となった。名門の廃部はショッキングな出来事だが、それだけで何かが大きく変わるとも思えない。スポーツの強化を行っている大学すべてが、またスポーツ界全体が、本来のスポーツのあり方をもう一度真摯に考え、逸脱している状況を深く省みなければ、この劣化は食い止められない。スポーツのあるべき姿、真のスポーツマインドを取り戻し、もう一度原点に立ち返るしか道はない。

 オリンピックやサッカー・ワールドカップへの注目度はきわめて高い。一部競技の人気選手は、スーパースターとしてテレビなどでもてはやされる。しかし、それはほんの一部のことだ。もし今回のような不祥事がさらに続き、劣化が進むようであれば、スポーツ文化などという言葉は死語となり、競技の人気は急速に衰えていくに違いない。果たして、スポーツ人たちにどれほどの危機感があるだろうか。

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