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vol.458-1(2009年8月5日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター
「古き良き魂」が消えた

 古橋廣之進さん急逝の知らせを聞いて、あらためてその存在の大きさを思った。あまりにも有名な現役時代の活躍や、その後JOCや日本水連、国際水連、また大学スポーツで残した業績があるからというだけではない。いかにもスポーツマンらしいスポーツマン、古き良きスポーツマインドの持ち主がまた一人去っていったのが、なんとも悲しかったのである。

 自分の選んだ道を一直線に進んでいく。そのためにはあらゆる努力を惜しまない。ありったけの力を振り絞るのをためらわない。挫折やけがや苦労があっても、けっしてひるまない。水泳選手・古橋廣之進の軌跡をごく簡単に記せば、そんなことになるだろうか。

 もちろん、いろいろな葛藤や煩悶もあったろう。ただ、古橋選手の競技哲学は、あくまで、勝つための努力を極限まで積み重ねていくという単純素朴なものに尽きていたと思う。現役時代の思い出を聞いていると、しばしば「少々のことじゃへこたれないんですよ」という言葉が出てきた。これもまた単純、簡単な表現だが、古橋さんはそこに、競技者、勝負師としての思いを凝縮させていたに違いない。ことさら名利を求めるわけでもなく、ただ自分の競技の奥義をひたすら追い求めていく。つまりは、競技者、アスリートの原点をそのまま愚直に守ったということだ。

 選手生活を終えて、水連やJOCなどで組織幹部の道を歩み始めてからも、その生き方、考え方は変わらなかったのだろうと思う。トップの座につき、スポーツ界の巨人として遇されるようになっても、その点は同じだったに違いない。自分の信ずるところに従って、スポーツマンらしく純粋素朴にものごとを処していけばいいとだけ思っていたのではないか。「選手は脇目もふらずに練習すればいい。競技団体は選手が勝てるように全力でサポートすればいい。それがすべてだ」というのが、いつも変わらぬ基本の筋だったように思う。

 だから、競技とは関係ないところに選手が気をとられるのを嫌った。大組織にはつきものの争いごと、せめぎ合いや、根回し、腹芸といったものも嫌いだったろうし、また得意でもなかったろう。JOC会長の時など、周囲のそうした動きにいらだちを隠さなかったものだ。

 こうして、古橋さんはいつも現役スポーツマンとしての心を持ち続けていたように思う。頑固一徹で、五輪代表選考などでは批判を受けたこともあったが、常に頭にあったのは、「スポーツマンとは何か」ということだったに違いない。大組織のトップとしてそれだけでよかったのかどうかはともかく、古橋廣之進はいくつになっても、ひるまず迷わず泳ぐことだけに集中していた若者の情熱を、そのまま心の底にひそませていたのだと思う。

 さて、そこでいまのスポーツ界を見てみると、そうした「古き良きスポーツマインド」はもはや希少になっているようだ。競技団体の幹部に若き日そのままの情熱を感じることは少ないし、選手は選手で、メディアに派手に露出することや芸能人のように振る舞うことを重視しているように見える。スポーツ本来のすがすがしさ、アスリートの純粋な香りはあまり伝わってこない。

 もちろん、古橋さんのような生き方、考え方がすべてではない。スポーツにはさまざまな側面があり、多様な魅力がある。スポーツ選手も同じことである。ただ、フジヤマのトビウオの航跡に、スポーツが、またアスリートが忘れてはならないもの、失ってはいけないものが色濃く流れているのは間違いないところだ。

 スポーツはスポーツらしくあってほしい。形はどうあれ、スポーツの本質は変わっていかないでほしい。そんなふうにしばしば思う時代である。だから、この「スポーツマンらしいスポーツマン」の旅立ちはよけい寂しい。若いアスリートたちは、死去に際して報じられたトビウオの伝説から、いったいどんなことを感じとったのだろうか。

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