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vol.523-1(2011年3月22日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

なぜ待てないのか

 スポーツとは何か。まずはそれを考えてみればいい。スポーツは楽しむものだ。となれば、答えはすぐに出る。

 未曾有の惨事となった大震災。被害の全容さえまだ明らかになっていない。原発では危機的状況が続いている。避難所には35万人がいて、はかりしれない悲しみと苦しみにあえいでいる。なのに、なぜプロ野球を予定通り開幕させようとしたりするのか。選抜高校野球大会をなぜ開くのか。

 スポーツはさまざまに楽しめる。だからこそ、その魅力は幅広く、奥深い。ただし、スポーツを楽しむためには、心にそれを受け入れるだけの余地がなくてはならないのである。家族を失い、家を失い、その日の生活さえままならない人々の心に、果たしてそれが残っているだろうか。また、今回は被害がなかったとはいえ、被災者たちの進行形の苦しみを手にとるように知っている他の地域の人々に、スポーツを心おきなく楽しむだけの心のゆとりがあるだろうか。それを少しでも考えれば、答えはすぐに出る。いまはまだプロ野球やセンバツをやるべき時期に至ってはいないのだ。

 にもかかわらず、プロ野球のセ・リーグは予定通りの日程で開幕しようとした。なぜそんな考えが出てくるのか、理解できない。文部科学省からの要請などを受けて、4日間だけ延期することになったが、それでも、この対応への批判はやまないだろう。

 確かにプロ野球関係者にとってそれは仕事であり、経済活動を止めてしまっていいのかという主張もわかる。ただ、ある一定期間の延期もできないというほどのことはないはずだ。節電の必要もあり、原発の問題もある。何より、ファンが野球を楽しめるだけの心境にないということがある。スポーツの本質を考えれば、復興の道筋が見えてくるまでしばし延期するのが当然ではないか。

 センバツもやることになった。こちらはアマチュアであり、仕事でさえない。ビッグイベントとはいえ、高校生の活動である。なぜいま強行しなければならないのか、これも理解できない。日本高野連などの主催者は「選手の夢を実現させたい」としているが、そんな型通りの言葉に説得力はまるでない。

 こうした場合、「プレーで勇気づけたい」「元気を送りたい」などという言葉が必ず出てくる。今回も「できる限りの勇気を届けたい」「日本中の人たちにとって一筋の光になることを願う」といったメッセージが出されている。が、この状況下では、それもむなしいばかりだ。かつてない被害に苦しみ、明日の見通しさえ立たない中で日々を過ごす被災者たちの思いを少しでも考えれば、そんな言葉がいかに空虚か、すぐにわかるではないか。

 スポーツに、人々を励まし、元気づける力があるのは間違いない。だが、それは状況によるのだ。もし復興への光が見えてきた時期であれば、そうしたスポーツの力、野球の力は十分に発揮されるだろう。なぜ、それまで待てないのか。

 いま、被災地の人々がセ・リーグやセンバツの開幕を見て、どう思うだろう。「みんな、もう我々のことを忘れてしまったのか」と思うかもしれないではないか。世の中にはさまざまな立場があり、さまざまな活動があり、考え方がある。が、いまはまだ、ただ被災地のことだけをみなが考えるべき時なのだ。

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