スポーツネットワーク
topページへ
スポーツバンクへ
オリジナルコラムへ
vol.563-1(2013年 3月5日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―1

 3・11から丸2年が経つ。この間、南相馬市出身の私は「原発禍のスポーツ」をテーマに取材を重ねているが、その現状は最悪だ。未だに住民は放射能に翻弄され、喘いでいる。
 放射能に慣れて、麻痺してしまった―。
 以上の声を住民から聞かれるようになったのは、昨年の夏過ぎあたりからだ。福島第1原発から北へ20キロ圏外、30キロ圏内の南相馬市の幼稚園・保育園・小学校・中学校の校庭や植込みは除染された。たとえば、校庭は表土5センチほど削り、代わりに放射性物質がゼロといわれる山砂が入れられた。しかし、その汚染土などは仮置き場が決まらないため、校庭の片隅に埋めたままであり、その上で児童・生徒は体育の授業を受け、放課後には遊んでいる。もうマスクをしている子どもは2割もいない。やはり、麻痺したのか・・・。

 昨年12月2日。3・11以来、2年ぶりに開催された「野馬追の里健康マラソン大会」を、会場の雲雀ヶ原陸上競技場に出向いて取材した。が、正直「ここで本当にやるの?」と疑った。持参した放射線量計で測ると、除染したというフィールドやトラックは毎時0・3〜0・4マイクロシーベルト。トラック外の立木がある場所はさらに高く、0・6〜0・8を計測したからだ。3・11前の10倍以上である。
 そのような状況を市側は把握しているとは思う。が、主催者は、なんと日本ウオーキング協会が主導する「ウオーク日本1800」とJVA(日本市民スポーツ連盟)の認定大会として開催したのだ。北は北海道から南は鹿児島までのランナーも出場し、参加者は総勢2367人。そのうち860人は小・中校生であった。822人のボランティアがサポートし、少年時代に南相馬で過ごした北京オリンピック・マラソン代表の佐藤敦之選手、地元・原町高校卒業生で順天堂大学時代に箱根駅伝で活躍した"山の神"の今井正人選手、同じく原町高卒業生のトライアスロン競技の西内洋行選手も招待選手として参加。相馬高卒業生のプロ野球巨人軍の鈴木尚広選手も走り、市民ランナーの南相馬市の桜井勝延市長も完走した。
 つぎつぎとスタートする子どもたちの姿を、私は複雑な思いで眺めた。高校時代の友人が苛立ち顔でいっていた。
 「原発から20キロ圏内の住民は東電から1人当たり毎月10万円の補償金をもらって、全員避難だからいいんだ。でも、20キロ圏外に住んでる私らは、補償金もでないためみんな悩んでんだ。本音は県外あたりに引っ越して家族と一緒に生活したいけど、新たに仕事を探すのは大変だ。だから、放射能に麻痺したとかいって、自分で『安全神話』をつくるほかない。そうでないと私らは納得できないんだ・・・」

 昨年12月から私は、時間があれば埼玉県加須市の廃校になった旧・騎西高校に出向いている。原発の町・双葉町役場が移転。未だに130余人の町民が仕切りのない教室で、避難所生活を余儀なくされているからだ。毎月11日の午後2時46分には北西約200キロ離れた故郷に向かい、黙祷を捧げる。犠牲者の冥福を祈っている。
この2月12日に町長の座を辞職した井戸川克隆さんは、原発の町の首長としてこの2年間、真摯な態度で原発事故と正面から向き合ってきた。
 「放射能に対してはいくら敏感になり、臆病になってもいいんです。大人の思い、エゴで子どもたちに屋外でスポーツをさせる。後で病気になったら犯罪でしょう。放射能に慣れ、麻痺するのが一番怖いし、国の思うつぼじゃないですか。我われ福島の人間はウソばかりつかれてきたんです。それに、何度も政府に『住民の声を聞いて欲しい』といっても、無視されてきた。福島の人間を“棄民”にしょうとしている・・・」

 井戸川さんは私を前に、強い口調でいった。
 原発禍に喘ぐ「フクシマ」のルポを随時、この場で発表したい―。

筆者プロフィール
岡氏バックナンバー
SAバックナンバーリスト
ページトップへ
          
無料購読お申し込み

advantage
adavan登録はこちら
メール配信先の変更
(登録アドレスを明記)
ご意見・ご要望

Copyright (C) 2004 Sports Design Institute All Right Reserved
本サイトに掲載の記事・写真・イラストレーションの無断転載を禁じます。  →ご利用条件