狂ってんなあ、2020年夏季五輪招致を目指す東京都・JOC・文科省・政治家たちのお偉方は。3月4日から4日間に亘り、東京都の開催計画を調査したIOC評価委員会の視察に、なんと「6億円」もの予算で対応し、安倍首相主催の晩餐会では人工的に咲かせた桜の花を飾ったという。
もう呆れてしまった。東電の大株主でもある東京都には、原発事故の反省の色はまったくうかがえない。頭ん中は単なる「東京オリンピック招致」のみだ。招致に利用している「震災復興」の惹句はどこにあるんだろう。 東京都庁から直線距離でほぼ北へ約50キロ。埼玉県加須市の旧・騎西高校には「原発の町」の福島県双葉町役場が移転し、未だ仕切りのない教室で130人もの町民が避難所生活を送っている。
私は、時間が許す限り訪ねているが、教育委員会生涯学習課のIさんがやるせない表情でいっていた。 「震災後、痛感するのはスポーツの重要性です。言葉がなくともみんなでスポーツをやれば通じ合える。町民の間に自然と輪ができていた。しかし、現在は町民が全国各地にばらばらに避難しているため何もできない状態です」
双葉町は13年前の2000(平成13)年春に「広げようスポーツの輪 ふれあいながら楽しめる場所」を合言葉に「NPO法人双葉ふれあいクラブ」を誕生させた。それまでの種目別のスポーツ少年団を統括し、子どもからお年寄りまで参加できる、生涯に亘るスポーツ振興を実施したのだ。これは当時の文部省が推進する、総合型地域スポーツクラブを全国に先駆けて設立したもので、各地の自治体からの視察も多かったといわれる。
しかし、Iさんが語るように3・11後は、ほとんど機能していない。3・11後に開催したイベントは2回のみだという。1つは昨年11月に開催された市町村対抗県縦断駅伝競走大会「ふくしま駅伝」に出場したこと。もう1つは、地元在住の競輪選手・渡邊一成が自転車競技でロンドン・オリンピックに出場する際、郡山市で開いた壮行会である。
「渡邊選手がロンドン・オリンピックに出場したときは、ここ騎西高校の生徒ホールにある大型テレビを観て、みんなで応援しました。かなり盛り上がり、町民は喜んでいました」
Iさんは、私を前に相好を崩していった。 前述したように、旧・騎西高校には未だ130人もの町民が避難生活を送っている。ほとんどがお年寄りであるが、その生活ぶりを目にしたら4日間で6億円を惜しげもなく散財した、東京オリンピック招致関係者たちはどのような思いを抱くのだろうか。ちなみに校庭には、だれが掲げたかは不明だが、招致運動の旗が立っている・・・。
昭和8年生まれ。元原発労働者のHさんは、毎日のように訪ねてくるボランティアの指導でストレッチ講座やマッサージ、健康治療室に行き、健康に気遣っている。
「昨日はな、失禁予防の運動を教えてもらったよ」 といって苦笑する。 Hさんが約2年間住む、仕切りのない教室を訪ねた。小さなテーブル横に貼りつけられた透明の袋には、1週間分の食券と薬が入れられている。朝食と昼食券は各350円、夕食券は400円だ。
「週に2、3回は昼にボランティアの人が炊き出しをしてくれて、昼食はタダになる。嬉しいな。何も出ないときは1日1100円もかかるんだ」 Hさんがいうように昼どきは毎日ではないが、ボランティア・スタッフがやってきて、料理を生徒ホールの厨房で作り、振る舞っている。
が、その光景を目にした私は、思わず目頭を熱くした。なんとお年寄りたちは各自段ボール箱を手に並び、その中に炊き出しの料理を入れてもらい、教室で食べていたからだ。約2年間、このような生活を繰り返しているのだ。 大正13年生まれのOさん。この3月20日で満89歳になるおばあちゃんに、私は訪ねるたびに会っている。一緒に弁当を食べたこともあるが、「電子レンジで温めよう」といったらたしなめられた。
「電気の無駄遣いはダメだあ・・・」 避難した当時、みんなで電子レンジを使用したら教室の電気が切れ、停電になったからだという。以来、節電をしているというのだ。私たちは冷えた弁当を食べた。
Oさんはいった。 「私はな、母親のお腹の中にいるときに関東大震災に遭った。それでな、87歳になるというときに、今度は原発事故に遭ってな、こんなところで生活するようになった。私の人生、難儀ばっかりだったけど、これも人生だと思うわな」
Oさんの誕生日はもうすぐだ。大好きだといっていた、鰻の蒲焼を持参し、精をつけてもらおう。 |