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vol.568-1(2013年 4月1日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―5

 3・11では多くの野球少年たちが犠牲者になった。
“奇跡の1本松”の岩手県陸前高田市。生徒総数40人ほどの小友中学校は、津波で校舎はほぼ全壊した。その上、8人の生徒が津波で消えた。が、その8人全員が野球部員だったのだ。
「何故なんだ?」
そう質問した私に、関係者は証言した。翌12日の土曜日は卒業式だったため、1,2年生の8人の野球部員は、昼過ぎに自転車で沿岸部の町に出向いた。お世話になった卒業する先輩に贈る花束や記念品を買うためだが、そこで津波に襲われた・・・。

 宮城県の石巻市。一昨年の6月、3・11から3ヵ月後に私は避難中の大川中学校を訪ねた。その際に、ユニホーム姿の女子中学生のNさんに会った。
「野球、好きなんだ?」
そう尋ねた私に、彼女はいった。
「はい。でも、私よりも弟のほうが大好きでした・・・」
「弟のほうが大好きでした? それはどういうことなの・・・」
その疑問に、傍らにいた担任が説明した。
「実は、弟は津波に流されてしまったんです。Nも祖父母と流されたんですが、彼女だけ4時間も海ん中を漂流した末に運よく助けられた。でも、下半身が傷だらけのためスカートははけないんです。だから、いつもユニホームかズボンをはいている・・・」
その亡くなった弟は、あの多くの犠牲者をだした大川小学校の生徒であり、スポ少に所属する野球少年だった。
 
 私の故郷・南相馬市の野球少年も犠牲になっていた。母校・高平小学校のスポ少チーム「高平シーサイド」の小1と小2の兄弟、さらに監督のHさんも亡くなった。兄弟の家族は6人で、なんとおばあちゃんと高校を卒業したばかりの長兄も津波に消え、家も失った。助かったのは働きにでていたお父さんとお母さんの2人だけだった。兄弟の遺体を見つけた、現監督のMさんの証言によれば、苦しかったのだろう、手で口を押さえていたという。消防団員だったHさんは、消防積載車に乗って出動しようとした矢先、津波に襲われてしまった。潰れた消防積載車は、長らく田んぼの中にあった・・・。
 この亡くなった2人の野球少年の両親の話は、ここで終わらない。つづきがある。私は次のような話を野球関係者から聞いた。
3・11から半年後だった。お母さんは新たな命を宿した。妻を気遣う夫は早期の入院を勧めた・・・。
 被災地にはマスコミが飛びつく、美談がいっぱいある。70代のある医師は、原発禍にもめげずに避難しなかった。医療機能を失った被災地の住民に喜ばれ、それを伝え聞いたマスコミが駆けつけた。連日のように新聞もテレビも大きく報じた。そのため、いつしか入院中のお母さんの存在も知られたのだろう。
―生まれてくる赤ちゃんは、亡くしたお子さんの生まれ変わりですね・・・。
 取材する側は、そのような言葉をかけたかもしれない。取材は何度も繰り返されたという。ワイドショーでも放映され、視聴者の涙を誘った。しかし、妻を気遣っていた夫は怒ってしまった・・・。
―これじゃあ、入院している意味がないじゃないか・・・。
それがすべてとはいえない。ただし、新たな命が生まれなかったことは事実である。

この3月半ば。私は故郷に行った。夜、屋台のラーメン屋に出向いて飲んでいると、店主が前週発売の女性週刊誌を差しだしていった。
「いい話がでているんですよ。読んでください・・・」
 読むと、医師と関係者にまつわる、たしかにいい話だった。今年1月に癌で亡くなった医師については、すでに全国紙1面下のコラムでも美談として報じられ、私は知っていた。原発禍で、診療に駆け回った医師の最期は賞賛に値する。
しかし、3・11で野球少年だった子どもを亡くし、さらに流産したお母さんの話はほとんど知られていない・・・。

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