福島第1原発から国道6号線で北へ20キロ。昨年4月までは、この地点に検問所があり、原発方向には入ることができなかった。しかし、その後は10キロ地点まで入ることができ、この3月からはさらに原発から5キロ地点まで入れるようになった。未だに使用済み燃料を冷やす水の循環が停電で止まったり、地下貯水槽から放射性汚染水が漏れたりして事故は続いている。それなのにどんどん一般の住民が原発近くまで入れるようになった。おかしいではないか―。
このGW期間中、私は原発から5キロ地点の浪江町に行った。まず浪江中学の校庭に立ち、線量計で測ったところあ然。なんと6・8マイクロシーベルト(毎時)だった。正直、吐気がした。低いところでも4・0以上であり、校庭に取り残された車のタイヤを測ったら8・0。3月に取材したゴルファーがいっていた。
「私の家は原発から15キロ地点にあるんですが、避難先から帰宅し、クラブの線量を測った。そしたらシャフトの部分は0・23と低かったんですが、グリップのゴムの部分は1・5でした。ゴムは放射性物質が付着しやすいんでしょうね。シューズも捨て、車のタイヤも交換しましたよ」
太平洋側の浪江町請戸地区に行った。請戸港から流されてきたのだろう、荒れ果てた田んぼのなかには、瓦礫とともに漁船があちこちに見られる。 海岸から500メートルも離れていない請戸小学校は全壊し、体育館の床は陥没。地震と津波の恐ろしさを改めて痛感した。2階教室の時計は揃って3時37分で止まっている。この時間に津波が押し寄せたのだろう。教室の窓からは遠くに原発の煙突のようなものが見えた・・・。
翌朝、早起きした私は実家近くの南相馬市スポーツセンターの周囲を散歩した。近くを流れる新田川の鮎を食べているカワウが、プールにいる。泳ぎながら糞でもしているかと思うとぞっとする。鮎からはキロあたり2000ベクレルの放射性物質が検出されているからだ。そして昨年夏からはプールを解禁。昨年同様に、今年も子どもたちが泳ぐだろう。
午前9時からは市営球場で「第65回春季福島県高校野球」相双地区予選が行われる。顔馴染みの監督や部長に挨拶をするも、なんか元気がない。その理由はすぐにわかった。 まず双葉翔陽高校は、この夏の大会を限りに部を休部することになったからだ。監督のHさんがいった。 「新入生は女子10人、男子6人の16人でしたが、部員募集はしませんでした。夏が終わると3年生9人が抜け、2年生は3人。相双福島の連合チームには参加せず、3人は他の部に転部させることになります・・・」 連合チームの相双福島は、双葉高校と相馬農業高校から編成されている。が、双葉高校の新入生は15人(男子10人)であり、野球部入部者はいなかった。監督のMさんは語る。 「部員5人のうち4人が3年生ですから、夏後の部員は2年生が1人。野球を続けたいといえば、1人でも連合チームでやらせてあげたいと思っています ・・・」 その他、新地高校も新入部員が2人だけで部員は14人。3年生が抜ける夏後は8人になってしまう。 母校・原町高校監督のKさんがいった。 「寂しいですよねえ。小学校でも野球をする児童が少なくなっているし、いずれ中学野球も高校野球もね、この相双地区からなくなってしまうことも充分考えられますから・・・」 現在、南相馬市でスポーツ少年団に所属し、野球をしている3・4年生の児童は、私が知る限り、たったの5人だけである。 |