この7日、アルゼンチン・ブエノスアイレスでのIOC総会で2020年開催予定の第32回オリンピックの開催地が決まる。立候補している東京は「復興オリンピック」を掲げ、総会に臨むという。が、私は喝破したい。復興オリンピック? ふざけんな! 3・11以来、とくに政府は未だに収束を迎えていない原発禍にあるフクシマのために何をやってきたのか。たとえば、5ヵ月後の一昨年の8月24日だった。文科省はスポーツの憲法ともいえる『スポーツ基本法』を施行させた。これは『スポーツ振興法』を50年ぶりに改正したもので、前文には「スポーツは、世界共通の人類の文化である」と記されている。しかし、フクシマの現状を把握しないまま官僚が机上で作成した体のよい作文であり、とくに原発事故後に運動やスポーツを満足にできない子どもたちのことは、まったく視野に入れていない。原発からは未だに放射性物質が飛散され、万物を汚染し続けているのだ。 52年前に『スポーツ振興法』を制定した際、翌年に日本スポーツ少年団を発足させた故・大島鎌吉(1908〜85年、64年東京オリンピック選手強化対策本部長兼選手団々長)は、黙認することなく「蜃気楼的立法」「インスタント的法律」と批判。敢然と異議を唱え、文部省や日本体育協会に次のように進言している。 「高度経済成長期時代を迎えるにあたり、少なくとも『工業化に起因する国民疾患の累増を防ぐための法律である』という一句を付け加えるべきだ!」 52年後のいま、私も大島に倣い「原発事故の収束を願うなら、まずは『被災地=原発禍における地域のスポーツ施設の確保と支援』といった一項目を加えるべきだ!」と訴えたい。 昨年4月。私はこの9月下旬出版予定の『大島鎌吉の東京オリンピック』(東海教育研究所)の取材のために渡独。フランクフルトのドイツオリンピックスポーツ連盟で、生前の大島を知る「最後の生き証人」といわれるワルター・トレガー氏にインタビューをした。現在のトレガー氏は引退しているが、2009年まで20年間に亘ってIOC委員を務める一方、ドイツNOC(国内オリンピック委員会)会長などの要職を歴任していた。 そのインタビューの際、私は今回の東京オリンピック招致に関しても尋ねた。4年前に東京が1回目の招致に失敗した際、トレガー氏は投票権を持つIOC委員だったからだ。 「2009年のIOC総会のときに東京に投票しましたか? また今回の東京は『復興オリンピック』をスローガンに掲げているがどう思いますか?」 私の問いに対し苦笑しつつ、トレガー氏はいった。 「それは秘密だね。いえるのはリオデジャネイロに勝つには並大抵のことではなかったと思う。ただし、ケンキチ(大島)と出会った1962年以来、私と東京は気持がつながっている。まあ、今回の東京が『復興オリンピック』を掲げるのは、それは趣味の問題だ。招致に乗りだす都市は、いろいろとアピールしてくる。東京にとって3・11からの復興は最大のアピールなんだろう。もちろん、引退した現在の私には投票権はないが、いまでも竹田さん(恒和、JOC会長)や水野さん(正人、JOC副会長)とはよく話す。2人はいいコンビだと思う」 そういって、一拍置いてからつづけていった。 「私は20年間もIOC委員を務めたが、オリンピックを招致することは、かなり大変な作業だ。それは国内においても同じだった。たとえば、2018年の冬季オリンピックは、韓国の平昌で開催される。2011年のIOC総会で開催地は決まったんだが、あのときはミュンヘンとフランスのアヌシーも立候補していた。ドイツ国内でも反対する者も当然いたんだが、賛成する者が多かった。そこで招致活動をしたんだが、投票の結果はミュンヘンが25票で、アヌシーは7票しか獲得できず、63票の平昌に負けてしまった。オリンピックを開催したいという国はいくらでもあるからね」 さらに次のような話もした。 「1993年のIOC総会で2000年の開催地を決める際、立候補していたベルリンはシドニーに負けてしまった。私自身は(89年11月にベルリンの壁が崩壊し、『東西の和平』をスローガンに掲げていた)ベルリンで決まると信じていたからね。いえるのは、投票に参加するIOC委員は100名ほどいて、それぞれの考えが当然のように違う。つまり、100の頭脳があるということだ・・・」 私は、改めて尋ねてみた。 「2020年の開催地は東京とイスタンブールの一騎打ち、両都市の争いになると、そういわれています。どうでしょうか?」 トレガー氏は応えた。 「そうはいえない。マドリードも3回連続して立候補している。2013年9月にブエノスアイレスで開催されるIOC総会では、会長の選挙もある。いまの時点ではロゲ会長は立候補しないようだ。だから、ふたつの重要な選挙がある。会長選挙も開催地招致に影響を与えると思う・・・」 そう語るトレガー氏の目には厳しさが宿っていた。それは東京オリンピック招致が難しいことを暗示するものなのか・・・。 そして、トレガー氏は私を前にいった。 「これからのドイツスポーツの課題は、会則にも載っているんだが、スポーツが青少年育成や市民のために重要だということを、もっとポピュラーにしなければならない。このことについては日本も同じだと思うね。IOCはオリンピックだけを開催しているのではなく、青少年スポーツ、障がい者スポーツ、みんなのスポーツ、生涯スポーツ、さらに環境問題や人権問題なども重要視している。とくに3・11後の日本は原発事故により、フクシマ生まれのあなたが語るように、放射性物資汚染により子どもたちの運動不足などが、ドイツでも報じられている。だから、もっと大人は子どもたちのためにも、スポーツに目を向けなければならない。この思いは亡くなったケンキチ、それに(大島が崇拝していた)カール・ディームの思いでもあるはず。生前のケンキチは、ここフランクフルトにくるたびに口癖のように『青少年育成』について語っていた・・・」 ちなみに大島は、1981年に名古屋市が1988年開催のオリンピック招致に立候補した際「行政主導ではスポーツ界が盛り上がらない。オリンピックを利用した都市改造は許せん!」と世界に発信していた。開催地はソウルに決まった。 |