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vol.560-1(2013年1月16日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

スポーツ界は「非暴力宣言」を

 私的な場でスポーツの指導者らに体罰について意見を聞く機会があった。その大半は「愛情のこもった体罰ならいいのではないか」「指導者と生徒に信頼関係があれば問題はない」というものだった。だが、無抵抗の相手を一方的に殴ったり、蹴ったりする暴力行為であることに間違いはない。感情が暴走する中で「愛情」という線引きなどできるのか。このような容認論が蔓延している以上、スポーツ現場から体罰を一掃するのは容易ではない、と思わざるを得なかった。

 かつて日本スポーツ界における体罰の歴史を調べたことがある。その道筋を探るとやはり戦争にたどりつく。体育が軍事教練に結び付き、戦後は復員した軍人が指導者として地元に戻り、軍隊式のシゴキや体罰がスポーツの現場で繰り返されていく。個人の尊厳を無視するような訓練は勝利至上主義に結び付き、さらには高度成長期の日本を鼓舞するものとして礼賛されるようになる。

 大阪・桜宮高校のバスケット部主将自殺の一件を通じ、さまざまな実態が明らかになった。暴力行為だけではない。公立高校なのに学校に無届けの寮が存在したり、顧問が18年間も転勤なしという特別扱いを受けていた事実も分かった。体育科の生徒なら部活動はやめにくく、部活動の実績が進路にも影響する。生徒はそういう環境で体罰に耐え、逃げ場をなくしていったのかもしれない。だが、これが桜宮高の特殊事情とは思えない。通常の取材をしている中で、同じような状況の強豪校を何度か見聞きしたことがある。

 今回、意見を聞いたのは、私と同年代の40代の人たちが多かった。我々の世代も多くがスポーツの現場だけでなく、学校でも体罰を身近に経験して育っている。人は自分の過去を美化して考える傾向にあるものだ。若い頃の嫌な記憶を呼び起こし、改めてそれを否定することはしない。だからだろう。それぞれが過去の傷を慰め合うかのように体罰を論じ、肯定しているような気がする。しかし、スポーツに関わる一人一人がもう一度、自分の過去と向き合い、反省すべきは正直に反省して、スポーツ界の未来や若者の教育を一緒になって考える時だ。

 日本オリンピック委員会(JOC)は15日の理事会で、加盟団体に対し、「体罰は言うに及ばず、パワー・ハラスメント、セクシャル・ハラスメント、いじめは断じて許されるものでない」などとする指導徹底を市原則之専務理事名で通達した。やっとスポーツ界にも問題に取り組む動きが芽生えてきた証拠だ。ぜひこの際にJOCだけでなく、日本体育協会や全国高校体育連盟、日本学生野球協会などスポーツ団体が一体となって体罰問題を話し合う機会を設けられないものか。スポーツに携わる人々が意識を変え、「非暴力」を宣言する日が来ることを願いたい。

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