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vol.565-1(2013年3月14日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

柔道改革案をめぐる気になる発言

 柔道の暴力問題を受けて、外部有識者による全日本柔道連盟の「第三者委員会」が組織改革などの提言をまとめた。暴力禁止を盛り込んだ指導指針の作成や、女性理事・女性監督の登用などを求めるものだが、その内容はさておき、非常に気になった発言がある。第三者委の笠間治雄委員長の言葉だ。

 「全柔連は、柔道をやってきた人たちだけの集まり。柔道の伝統に頭の中が支配されている。我々からみると『暴力じゃないのか』ということも『暴力でなく指導』という感覚から抜けきれない。外の風を入れることが大事だ」(3月13日付毎日新聞)

 思い出されるのは、大相撲で起きた野球賭博や八百長問題の時のことだ。日本相撲協会は自浄能力がないとみなされて、協会の組織改革を提言する外部有識者の「ガバナンス(組織の統治)の整備に関する独立委員会」という組織が発足した。

 相撲も柔道も、問題処理のされ方はまるで同じといえる。文部科学省が一連の動きをチェックしながら、法律家が会議の中心になって改革の提言案をまとめる。今回の笠間委員長も前検事総長であり、提言案には、法曹関係者を含む複数の第三者を全柔連の執行部に入れる、という内容が盛り込まれた。

 笠間委員長の発言は、「柔道」をそのまま「スポーツ」に言葉を置き換えても違和感なく聞こえるに違いない。こんな風にだ。

 スポーツ界は、スポーツをやってきた人ばかりの集まりで、スポーツの伝統に頭の中が支配されている。だから、外部の人間を入れて組織を変えなければならない。

 中央競技団体の大半が公益法人なのだから、多くの人の意見が反映されなければならないのは理解できる。また、スポーツ界の暴力・体罰問題が、閉鎖的な環境の中で起きていることもよく分かる。だが、問題が起きるたびに「スポーツ界の人間はスポーツしか知らない。世間の常識がわかっていない」などと言われ、外部の人間が改革の方向性を考えるというのは、スポーツ界にとって決して好ましい方法とは思えない。

 戦前の学生野球には、人気のあまり教育を逸脱した商業活動などがはびこり、文部省(当時)が1932年に野球統制令を発令。これによって、あらゆる活動を制限され、徐々に国の支配を受けていった歴史がある。戦争勃発後は中等野球や大学野球が国から中止を命じられ、活動再開は戦争終結まで待たねばならなかった。そのような反省を経て戦後、野球界は自らの手で学生野球憲章を作るのだが、プロとアマの交流は長く断絶されたままになった。

 柔道では、暴力問題に続き、toto助成金の目的外使用の疑いが浮上した。指導者に支給される助成金の一部がプールされ、懇親会などに使われていたという。このようなことをしていては、またもスポーツ界は信頼を失い、その姿勢を厳しく糾弾されるに違いない。本来、スポーツ界を正しく導くのは法律の専門家でもなければ、官僚でもない。問われているのは、スポーツに携わる人々の「自律」なのだ。

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