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vol.596-1(2014年2月14日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―29

 《ソチ五輪開幕》《首都圏大雪の恐れ》―そう新聞が大見出しで報じた、都知事選前日の2月8日の昼過ぎ。私は「雪化粧の国立競技場を見られるのは、これが最後かもしれない」と思い、国立競技場に出向いた。
 地下鉄・副都心線の北参道駅から徒歩で約10分。明治公園・霞岳(かすみがおか)広場は、すでに10センチほど雪が積もっていたが、子どもたちは降りしきる雪などへっちゃらだ。元気よく雪合戦に興じ、雪だるまをつくっている。
「ここで雪合戦ができるのも最後じゃないの・・・」
 そう声をかけた私に、少年は口を尖らせてこういった。
「知ってるよ。国立競技場は壊されるんでしょ。2000億円かけて新しいのをつくるって、パパがいってたよ。バカみたいだって・・・」
 隣接する都営霞ヶ丘アパートに行くと、Jさんが雪かきをしていた。前々回に記したようにJさんは、50年前の東京オリンピックの際に立ち退きを余儀なくされ、住んでいた跡地は明治公園となり、霞ヶ丘アパートに住むようになった。
が、50年後の今、巨大な新国立競技場建設のため再び立ち退きを迫られている。
「そうだよねえ。ここで見れる雪は最後になるかもしれない。競技場の解体作業が始まると、私らはここに住めなくなるだろうな。悔しいし、寂しいねえ・・・」
 そういって溜息をつき、Jさんは続けていった。
「まあ、昨日でなくてよかった。昨日は天気がよかったしね。実は昨日は、私の母校の四谷第六小学校の子どもたちと一緒に競技場に行ってね、トラックを走って、聖火台に火も点けた。まあ、解体作業が始まったら入れなくなるしね。子どもたちは喜んでいたよ・・・」
 東京体育館寄りの明治公園・四季の庭に行くと、もう歩けないほど雪が積もっていた。園内に住むホームレスのブルーシートの囲いは、雪の重さで潰れそうだ。何冊もの英語の原書をキャリーバッグに持つ、ホームレスのNさんは大丈夫だろうか・・・。

 翌日の9日。仕事部屋から雪景色を眺めつつ思った。原発禍の故郷を石もて追われるように避難している人たちは、どんな思いでこの雪景色を見ているのだろうか。私が住む埼玉の町にも30人ほどが避難しているが、ほとんどが高齢者だ。
 今年55歳を迎えるKさんは、16年前に双葉町で少年野球の「双葉リトルリーグ」を創設する一方、原発禍にある相双地区で唯一の社会人野球クラブ「オール双葉野球クラブ」を運営。誰よりも「双葉野球の灯りを消すな!」の思いが強い。家族とともに埼玉に避難している、Kさんに会ったのは3・11から1年後の今頃だった。
「リトルの選手30人の避難先は、島根・横浜・埼玉・栃木・宮城・山形・新潟とさまざまです。『双葉で野球がしたい』という思いは同じなんですが、双葉に帰れる保証はないし、帰れば自ら被曝をしに行くようなもんですから・・・」
 そう私を前に語る、3・11後のKさんは県内の体育館などで避難生活をし、2週間後に埼玉に落ち着いたのだった。
「しかし、家族が住むアパートが決まっても福島から避難してきたことがわかると、突然『他の者に貸すことになった』と断られたりね。もう『福島からきたからか?』というと『それはないです』といったけど、その態度でわかる。そういった風評被害に子どもたちも遭っているかと思うと、頭にきますよ…」
 埼玉に避難したKさんの元には、全国各地に避難した選手や保護者たちから手紙が寄せられた。それらの手紙には、地震・津波・原発事故と対峙した子どもたちの野球への思いが込められていた。中学1年生からの手紙には、こう綴られていた。抜粋したい。

《一番残念なことは、友だちと離ればなれになったことです。このさみしさをまぎらわすことが出来る時間があります。それは、お父さんとキャッチボールをしているときです。地震や原発事故が起こる前より避難している今のほうが、野球がしたくてたまりません。いつでも仲間がいて野球が出来た頃を思うと、胸が熱くなります。みんなー、元気かー、また野球すっぺなー》

 20年ぶりに首都圏が大雪に見舞われた3日後。2月10日だった。私はKさんに久しぶりに連絡し、3時間後に会った。
「正直、現在のリトルのほうは休部というよりも、廃部状態です。3・11から3年も経ちますからね。選手を募ってもダメでしょう。クラブチームのほうは、どうにか続けています。岡さんも知ってるように、どうにか去年は地区予選で1回だけ勝てたし、我々のチームに苦しめられたチームが全国大会に出場しているしね。選手全員が『負けた気がしない』といってる。部員は26人で、週に1回の練習に出てくるのは10人ほどですが、今シーズンは『勝敗にこだわるチーム』として試合に臨みます」
 約2時間、Kさんと野球の話をした。別れ際、Kさんは私にいった。
「岡さんから電話をもらったときは、住んでる団地の庭の雪かきをしていたんですが、団地の人たちは自己中心主義というか、誰も外に出てこない。でもまあ、3月にはこの埼玉に家を新築し、そこに住むことに決めました。いつまでも高齢者の親に狭い団地住まいをさせるわけにはいかないですからね。岡さんと同じように、双葉出身の私らも埼玉県人になります。明日で3・11から丸2年と11ヵ月が経つしね、早いですよ・・・」
 このKさんの言葉に、私は素直に頷くことはできなかった。
 14日の本日、再び首都圏は雪に見舞われた。

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