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vol.616-1(2014年8月4日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―42

 福島第1原発から10キロ圏内にあるJR浪江駅前は、3・11から時間が止まっている。主の帰りを待つ自転車が放置され、破壊された商店街の店舗は傾いたままだ。浪江町のロータリークラブ・交通安全対策協議会・警察署が推進する「シートベルト着用日本一をめざす町なみえ」の立て看板が虚しい。
 そのような駅前の一角に、歌碑があることを知ったのは昨年4月。帰還困難区域(年間積算線量50ミリシーベルトを超える区域)以外の10キロ圏内に入ることができるようになってからだ。当時の私は『南相馬少年野球団―フクシマ3・11から2年間の記録』(ビジネス社刊)を執筆中だったため、発見したときは嬉しかった。
 何故なら『高原の駅よさようなら』の楽譜と歌詞が綴られた歌碑は、浪江町出身の作曲家・佐々木俊一さんの功績を讃えたもので、灰田勝彦のヒット曲『野球小僧』の作曲家としても知られているからだ。どちらも作詩は佐伯孝夫さんである。

 ♪野球小僧に逢ったかい 男らしくて 純情で 燃えるあこがれ スタンドで じっと見てたよ 背番号・・・

 以来、野球少年を見るたびに私は『野球小僧』を口ずさむ。

 今週9日から96回目を迎えた、夏の甲子園大会が開幕する。約4000校を擁する各都道府県を勝ち抜いた代表校49チームが出場し、熱き闘いでファンを魅了するはずだ。
 81チームが出場した福島県予選では、私立の聖光学院が8年連続11回目の出場を決めた。が、原発禍の相双地区の6チーム(7校)はさんざんだった。相馬高、新地高、相馬東高、相双福島(相馬農高・双葉高)の4チームはあえなく1回戦敗退。残る原町高は2回戦、小高工高はエース・菅野秀哉君が好投したものの、準々決勝で聖光学院に0対2で敗れ去った。ちなみに菅野君は、秋のドラフトでリストアップされている逸材だ。
 いうまでもなく原発禍の高校野球は厳しい状況にある。野球部だけに限ったことではないが、3年生が引退する夏後の部員数だ。今年4月下旬の時点では小高工高が44人、相馬高が31人、原町高が22人、新地高が16人、相双福島が15人、相馬東高が13人。6チームで計141人の部員だったが、3年生が引退すると小高工高と相馬高がそれぞれ27人、原町高15人、新地高11人、相馬東高10人となり、故障者がでなければチームを編成することはできる。しかし、連合チームの相双福島の双葉高は部員がいなくなるために休部に追い込まれ、残った相馬農高の1、2年生の7人の部員は他チームに組み込まれると思われる。
 4月末に新地球場で開催された春季福島県大会相双支部予選。会場に出向いた私を前に、原町高野球部OBのAさんがしんみりした口調でいっていた。
 「いつもの愚痴と思われるけど、このままだと相双地区から野球は消えてしまう。7校の部員合わせても150人にもなんねえ。聖光学院の部員よりも少ねえべ・・・」
 その言葉に頷きながら、私はAさんとともに母校・原町高対相馬東高の試合を観た。

 それから2ヵ月後の7月初旬の日曜日。帰郷した私は南相馬市の少年野球のメッカといわれる、北新田運動場に行った。鹿島区と原町区のスポーツ少年団所属のチームが練習試合をしていた。バックネット裏のモニタリングポストを見ると、放射線量は基準値を下回る毎時0・195マイクロシーベルト。一応、安心できる数値ではあるが、ベースに滑り込む選手の姿を眼にするたびに考えてしまうのだ。本当に大丈夫なのか・・・。
 そんな思いで観ていると、背後から声をかけられた。
 「岡さんじゃねえの。いつ帰ってきたんだ・・・」
 振り向くと、前述した『南相馬少年野球団』の取材で知り合った南相馬ジュニアベースボールクラブの選手、B君のお父さんだった。当時、小学6年生のB君は身長139a・体重37`と小柄だったが、チャンスにめっぽう強い4番打者として活躍。ポジションは捕手で、全身を駆使してのスローイングもよく、根性もありそうだ。黒ぶちメガネをかけたB君は、私に質問してきたことがある。
 「どうしたら背は伸びるんだ?」
 「無理してでも食べて、思いきり野球をすることだな」
 私の言葉に、B君は大きく頷いていた。
 「B君、大きくなりました? もう中学2年生ですよね」
 そう尋ねた私に、お父さんは笑顔でいった。
 「身長は157aほどだと思います。でも、親父としては早く170a以上になって欲しいんですよ・・・」
 1昨年の10月だった。南相馬ジュニアベースボールクラブは、茨城県土浦市の体育協会・野球連盟・スポーツ少年団が主催する「東日本大震災復興支援特別招待試合」に招待された。B君たち6年生にとっては、最後の県外遠征の試合だった。
 対戦相手は土浦市スポーツ少年団に所属するチームのキャプテンだけで編成された選抜チーム。下馬評では勝ち目はないと思われたが、試合前にB君のお父さんが選手にゲキを飛ばした。
 「勝ったらみんなにエロ本買ってやっからな。思いきりやっぺ」
 エロ本? 思わず私は笑ってしまった。
 ともあれ、1回表にランニングホームランで先制点を許したが、監督のCさんは落ち着いていた。
 「取られたら取る。それがおまえらの野球だよな。だんだん燃えてきたんじゃないか・・・」
 この監督Cさんの発破に、選手たちは燃えた。1回裏、ツーアウト走者二塁の場面でバッターは4番のB君で、打席に立つ前だった。真顔で私にいってきた。
 「打つから写真撮ってくんねえが・・・」
 結果、ライト前ヒットで同点にし、このB君の一打を契機に南相馬ジュニアベースボールクラブは2回に逆転。3回には一気に4点を奪取し、8対2で完勝した。
 あれから1年8ヵ月も経つ。あの強かった南相馬ジュニアベースボールクラブの選手たちの顔を思い浮かべ、私は『野球小僧』を口ずさんだ。しかし「朗らかな、朗らかな野球小僧」には逢えないのかもしれない。もう南相馬ジュニアベースボールクラブはないからだ。部員9人を確保できず、昨年暮れに休部に追い込まれた・・・。

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