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vol.610-1(2014年6月13日発行)

滝口 隆司 /毎日新聞運動部記者

ついにスポーツ国策化の道へ

 元日本体育協会の職員で五輪評論家の伊藤公(いさお)さんが亡くなり、東京・代々木の諦聴寺で営まれた通夜・葬儀には大勢のスポーツ関係者が別れを惜しんで弔問に訪れた。「ハムさん」のニックネームで親しまれ、78歳で鬼籍に入った伊藤さんだが、体協職員時代から続けてきた五輪研究の功績は、今後も生き続けるに違いない。

 改めて著書を読み返してみた。「オリンピックの本 希望の祭典を永遠に」(サイマル出版会、1986年5月刊行)。そのまえがき「理想と現実を追って」の書き出しは次のように始まる。

 <「この核の時代に、人間にとって大きな希望は、オリンピック運動があるということだ」と語ったのは、一九二〇年にアントワープで行われた第七回オリンピック競技大会にイギリスの代表選手として参加し、陸上競技千五百メートルに二位となり、のちに平和運動家として著名になったフィリップ・ノエルベーカー卿である>

 ノエルベーカーといえば、五輪のメダリストでありながら、ノーベル平和賞も受賞した歴史上唯一の人物だ。その言葉を引きながら、伊藤さんは五輪の理想と現実を著書の中で解説していく。

 直接伺った印象的な話がある。体協を退職し、評論家として五輪の現場に来られていた10年以上前のことだ。伊藤さんは、自身が国際担当職員として携わった1980年モスクワ五輪ボイコットに至る事実をすべて明らかにしようと取材し、原稿を書きためていた。

 「出版社に原稿を持ち込んだのだが、本にしてくれないと言うんだよ。そんなものはもう読まれないのかね」

 原稿が採用されないことより、歴史が風化することを残念がっているように私には思えた。しかし、2005年11月、インターネットでブログを開設し、「モスクワ五輪ボイコットの真相」(http://blog.livedoor.jp/itoko2/archives/2005-11-01.html)を連載していく。それは137回にも及ぶ長編になった。

 <真相を追い、真実を知るにつれて、すっきりしない気持ちになることも、これまた否定することができない。それは厳しいトレーニングを積み、努力を重ねて日本代表選手に選ばれながら、最後の段階でモスクワの土を踏めなかった精鋭たちが200名近くもいるからだ>

 そんな文章を読むと、伊藤さんは選手たちの無念を晴らしたい一念だったのかもしれない。日本オリンピック委員会(JOC)はモスクワ五輪後、政治からの自立を目指して体協からの独立を果たすが、2020年の東京五輪が決まった今、スポーツ庁設置をめぐって再び政治の波に巻き込まれ、自立を脅かされている。

 前述の「オリンピックの本」で、伊藤さんはオリンピック憲章の「各NOC(国内オリンピック委員会)は、完全な自主独立団体でなければならず、どのような圧力も、それが政治的・宗教的・経済的なものであるとを問わず、すべてしりぞけなくてはならない」という条文を紹介した上で、こう書いている。

 <本当に政府の介入しないNOCがいくつあるかは疑問であるが、少なくとも『オリンピック憲章』の精神を守る努力は、各NOCとも続ける必要はあり、一番望ましいNOCの姿は、やはり自主独立団体であることだろう。「政府は、金は出すが、口は出さない」のが、NOCにとってもっとも理想的である>

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