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vol.649-1(2015年10月1日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−12
 真の「アスリート・ファースト」とは

 「アスリート・ファースト」という言葉がよく使われるようになったのは、東京オリンピック招致が佳境に入ったあたりからだろう。選手第一、つまり、何についても出場するアスリートたちのことを最優先に考えようという趣旨だ。確かにそれはオリンピックの精神からして最も大事なことではある。
 2020年大会の開催が決まり、オリンピックムードがどんどん盛り上がっていく中で、アスリート・ファーストの言葉はさらによく聞こえてくるようになっている。ただ、いつも気になるのは、2020年組織委員会などによって頻繁に、言い換えれば便利に使われているわりに、それが単なる建前にしか聞こえないというところだ。言葉の意味が少しばかりずれている、あるいは誤解されているようにも思える。

 アスリート・ファースト。その趣旨の第一は、それぞれの選手が試合の場で力を出し切れるように競技環境を整えることだろう。使いやすい競技場と練習会場。体調管理や休養に必要な設備がきちんとそろっている選手村。まずはその二つがちゃんと準備されていればいい。ここで言っておかねばならないのは、そこにきらびやかな飾りや、必要以上に豪華な施設などなくてもいいという点だ。
 いまのオリンピックを特徴づけている豪華さ、きらびやかさ。それは競技自体に必要なものではない。アスリート・ファーストとは、選手に過剰な特別待遇を提供することでもない。「至れり尽くせり」をアスリート・ファーストだと解釈している向きも少なくないようだが、それはちょっと違う。
 たとえば、2020年の競技会場の変更が相次いだ時にも、「会場が遠くなるのはアスリート・ファーストに反する」との声が出た。が、選手輸送の時間が少々増えたからといって、首都圏とその近辺を移動するのであれば、さほどの影響はないだろう。少しばかり時間がかかるようになるとはいえ、それを会場整備の巨費削減と同等に扱っていいものかどうかは考えるまでもない。なのにそこを「アスリート・ファーストに反する」と言い立てるのは、まさしく「意味がずれている」ひとつの例だ。
 それより何より、選手第一の趣旨に決定的に反しているのは、最近のオリンピックが酷暑の真夏に開催されていることだろう。たとえば陸上の長距離であれば、東京の猛暑の中でベストのパフォーマンスが可能なわけがない。欧米の人気プロスポーツのシーズンと重なるからこの時期しかないというのが大前提、当然の常識のようになって久しいが、世界中の多くのアスリートがあこがれる至高の舞台をそのように扱って疑問に思わないところこそ、もっと強く批判されるべきではないのか。

 テレビや大スポンサーの意向などを反映して、競技のルールを変更したり、伝統ある競技の代わりにはやりの新種目を入れようとしたりする動きもアスリート・ファーストの精神に反している。それらがすべてマイナスに働いているわけではないが、そもそも競技や選手を優先しての措置でないのは明らかだ。こうした構造に目をつぶったままアスリート・ファーストを唱えても、それはただのきれいごと、中身の伴わない建前にしか聞こえない。
 そして最大の問題は、現在のオリンピックがビジネス最優先で、世界最高のスポーツの祭典としての本来の姿が薄れているというところにある。全体がスポンサーやメディアによる巨大なビジネス・パッケージとなっていて、競技も選手もコンテンツのひとつとして利用されているだけという観があるのだ。それではアスリート・ファーストという言葉も、いかにも虚しく響く。
 スポーツ大会なのだから、選手第一はしごく当然。だが、現実はといえば、そこから遠く離れているまま。「アスリート・ファースト」が本当に実現するオリンピックが来る日はあるのだろうか。

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