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vol.653-1(2015年10月30日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−14
 本当に残したいものは

 2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決まって以来、オリンピックの話となると頻繁に出てくるのが「レガシー」という言葉だ。巨額の費用と多大な手数をかけて大会を開催した後に何が残っていくのか、何を残すべきなのかという論議がきわめて大事なのは言うまでもない。ただ、いまのところはレガシーという言葉のみが独り歩きをしているだけで、実のある議論が展開されているとは言えないように思う。

 オリンピックが後の世に残していくものは多種多様だ。よくも悪くもこれだけ巨大な存在となったオリンピックは、否応なく社会全体に大きな影響を与える。再開発やインフラ整備による都市再生や革新的技術の開発のように具体的な形となるものから、大会開催がもたらす市民の意識変化のように目に見えないものまで、五輪の遺産は多岐にわたる。競技場新設で往々にしてあるように、負の遺産が残ってしまう例も少なくない。
 そう考えると、どのようなレガシーが残っていくかは、その大会の理念そのものが決めるとも言えるだろう。明快な理念が打ち出されているかというと、いささか首をかしげざるを得ない2020年大会は、その点でもいささか不安だ。立派な大会を開くのだと力んでみても、たとえば多額の費用をかけて豪華な大会を開けばよきレガシーがたくさん残るのかといえば、必ずしもそうではないのは、近年のオリンピックがあまた示している。関係者が連発する「レガシー」の言葉が上滑りしているように感じるのは、しっかりした理念の裏付けが欠けているからではないか。
 そうした中で、よきレガシーを確実に残せるものといえばパラリンピックの関係だろう。世界有数の大都市とはいえ、バリアフリーとは到底いえない側面が東京にはまだまだ多い。パラリンピックを重視して、それに関する施策を強く推し進めていけば、施設・設備の面でも市民意識のうえでも、障害者の暮らしやすさが格段に増すはずだ。やるべきことは多いが、その課題はわかりやすく、実行に移せばすべてがプラスとなる。「パラリンピック重視」も2020年大会の関係者が頻繁に口にすることだが、それが単なる建前に過ぎないのか、本気の思いなのかがここで問われることになる。

 もうひとつ、2020年をきっかけとしてぜひ推し進めたいのはこれだ。「働く大人たちがもっとスポーツを楽しめる状況」の実現である。  市民スポーツ、草の根スポーツの振興は常に論じられている。が、いっこうに前に進んでいないように思える。掛け声はあっても、実際に力を入れている様子が見えてこないのだ。スポーツに関する施策といえば、行政もスポーツ界も、まずはメダル獲得のためのトップ選手強化の必要性を唱える。次には子どものスポーツ離れを防ぐというあたりにいくのがお決まりのパターン。が、それでいいのだろうか。肝心のところを忘れていないだろうか。
 スポーツを世の中に根づかせるには、本当のスポーツ文化を育てていくためには、社会の中核たる働く大人たち、すなわち20代から50代あたりの世代がその中心にいなければならない。だが、そうした世代、父親母親の世代が、忙しく働きながら、あるいは子育てをしながら、さほどの経済的負担もなくスポーツを楽しめる環境があるかといえば、とてもそうはなっていない。そうした中核世代がスポーツを身近なものとしてこそ、スポーツ文化も育ち、子どものスポーツ離れも解消し、それらの結果として競技スポーツの土台も分厚くなるのである。

 市民スポーツを盛んにという掛け声にいっこうに現実感がない社会。しかし2020年は格好の機会だ。選手強化も必要だろうし、学校体育や国際交流も大事ではあるが、オリンピックという大事業を絶好のチャンスとして「大人がいつでもどこでも気軽に楽しめる」状況をつくってこそ、日本のスポーツの未来が開けるのではないだろうか。

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