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vol.661-1(2015年12月24日発行)

佐藤次郎 /スポーツライター

「五輪の風景」−18
  プラスの流れを定着させたい

 一年の終わりにあたって、2020年東京オリンピック・パラリンピックをめぐることしの動きを振り返ってみよう。それなりの前進もあり、まったくの停滞もあり、大きな後退や失敗もあった。世評としては、組織委員会を中心とした準備作業はつまずきっ放しということになるだろうし、事実その通りなのだが、いささかのプラスがなかったわけではない。
 一番の出来事といえば、言うまでもなく「新国立競技場」だろう。白紙撤回ののち新たな建設計画が決まったばかりだが、これはことしのみならず、2020年へ向けての最大のポイントになるはずだ。デザインの新奇性があるだけで、どこまで建設費が膨れ上がるかわからない、しかも将来にわたってお荷物になりかねない代物を抱え込むのをぎりぎりの段階で回避した。それまでの無責任体制にはあきれるほかないし、必ずしも本質をついた判断で白紙撤回がなされたわけでもないが、あのままではことあるごとに準備の足を引っ張る存在となったに違いない。

 新たに決まった計画の総工費はおよそ千五百億円。もっと圧縮すべきだったし、もっと簡素でよかったとも思うが、それでも前の計画を強行するよりずっとましだというのは、これで大会への都民・国民の支持を辛うじてつなぎとめたと思うからだ。オリンピックの金看板のもと、どんな無駄でもまかり通ってしまうようでは、一般市民の強い反発は免れず、そうなれば大会の成功など望むべくもない。IOCの「アジェンダ2020」の流れに乗って施設整備費をある程度削ったのと併せ、これを「カネをかけないオリンピック」のシンボルとすることもできる。大会が5年後に迫ったところでメーンスタジアムの建設計画が宙に浮くという非常事態だったが、とりあえずは災い転じてプラスとなる方向へと事態は進んでいると言ってもいい。
 もちろん、今後もさらなる努力が欠かせないのは言うまでもない。大会運営費が当初見込みをはるかに上回る試算が出ているとする報道もあった。さまざまな利害や思惑がからみ合い、ちょっとでも油断すればすぐに際限なく膨張していこうとするのがオリンピックの経費である。新国立やり直しや施設整備費削減はプラスといえるが、それを突破口として無駄な費用をかけない流れを定着させなければ、せっかくの決断も意味を失ってしまう。そのためには国民からの厳しい監視がぜひとも必要だ。徹底した情報公開を求め、少しでもおかしな動きがあればすぐに追及の声を上げていきたい。
 ただ、これ以外にはあまりプラスは見えてこなかった。強いて言えば、パラリンピックの重要性がある程度強調されるようになった点だろうか。まだ単なる建前論が多いが、それでもパラリンピックへの言及が多くなったのは一応プラスと言ってもいい。

 残念ながら、他に評価すべきことは見当たらない。新国立と並んで批判を浴びたエンブレム問題だが、エンブレムそのものがさほど重要なわけではない。そうした状況を生んでしまう機能不全が問題なのだ。政官財スポーツを網羅した組織はできているものの、そうした寄せ集めでは意味ある具体的な論議はなかなか成立せず、迅速な意思決定もままならず、結局は形を整えただけで実質的な働きができていないように見える。本当に機能する実働部隊が中枢にない限り、今後も問題が出てくるのは避けられないだろう。
 何より指摘しておきたいのは、組織委員会や関係官庁の幹部たちに、オリンピックに対する明確かつ的確な意識のないことだ。単なる巨大イベントの準備、運営という頭しかなくて、新時代を迎えているオリンピックをどのような形でつくり上げるか、世界に新たなオリンピック像をどう発信するかという哲学、理念、さらにそれを具体化するためのビジョンといったものが何ひとつ感じられないのである。だから2020年大会へ向けて具体的なテーマさえ打ち出せていない。いま出ているのはただの抽象論で、それでは世界を振り向かせることなどできない。
 年が明ければ、あと4年。残されたわずかな年月で、意識改革は果たして可能なのだろうか。

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