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vol.669-1(2016年3月14日発行)
岡 邦行 /ルポライター

原発禍!「フクシマ」ルポ―73

 2月末から延べ10日間にわたり、2011年のあの日から、丸5年を経た福島県、岩手県、宮城県の東北被災地を歩いた。その経路は、郡山→福島→一関→陸前高田→気仙沼→石巻である。
 まずは郡山で下車し、元福島県知事の佐藤栄佐久さんの自宅を訪ねた。知事時代の佐藤さんは国と電力会社が推進する原子力政策のプルサーマル計画導入を批判、それが因となって辞職に追い込まれたという。居間で大型の線量計を手に、5年前を振り返る姿が印象的だった。知事時代の95年、福島国体の際に「うつくしまふくしま」のコピーを考えたのが佐藤さんだった。
 続いて福島で下りた。駅前には「福が満開、福のしま」と書かれたのぼりが立っている。ここでは、今も福島北高の仮校舎で学ぶ、原発の町・富岡町の県立富岡高ゴルフ部を指導する栗西鈴香さんに会った。10年前の春、女子プロの栗西さんはLPGA(日本女子プロゴルフ協会)の要請でコーチに就任。5年目の東北大会では、男子団体で強豪校の東北高を1打差で破り、「さあこれからだ!」と思った、その矢先、福島第一の原発事故に見舞われたのだ。
 栗西さんは、この10年間で富岡高ゴルフ部から2人の教え子を女子プロの世界に送り出した。その指導力が高く評価され、昨年12月にはLPGAのティチャー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。だが、富岡高は1年後の来春には廃校となるため、この3月に2名の卒業生を出した後、4月からの部員はたった1人だ・・・。

 岩手県では雪の一関で一泊し、陸前高田に行った。奇跡の1本松を遠くに眺め、広田半島方向に向かった。その半島の根元に位置する小友町。総生徒数40人ほどの小友中学校は津波に襲われ、体育館は半壊した。5年前に訪ねたときは体育館内には瓦礫が積まれ、悲惨な光景だった。それだけではない。8人の生徒の命が奪われたのだが、全員が野球部員だったのだ。
 「3月12日は卒業式だったため、後輩の1、2年生部員は町に出かけ、先輩にプレゼントする記念品を買いに行ったんです。それで津波に襲われた・・・」
 5年前、私の取材に父母たちはそういった。5年前、私の取材に父母たちはそういった。現在、小友中学校は他校に統合され、その跡地はさら地になっていた。隣接する鈴木商店は1階まで浸水したが、大正11年生まれの店主のお婆ちゃんは娘さんと一緒に裏山に避難して助かった。私に「津波てんでんこ」について教えてくれた。
 「てんでんばらばらになっても、自分の命は自分で守ってな。助かったら子孫に津波の恐ろしさを伝えるんだ。わしは明治三陸地震(明治29年、死者・行方不明者2万1956人)の恐ろしさを伝え聞いていた・・・」
 広田半島を擁する広田町を訪ねた。昨年暮れに仮設住宅を離れ、ようやく高台に新築した家に住み、少しは落ち着いたという同年代のAさんはいった。
 「私らは震災の次の日から復興へスタートが切れた。でも、福島の人たちは原発事故のためにまだまだだ。それを思うと私らは運がいいほうだなあ・・・」
 陸前高田を後にし、気仙沼に行き、2年前に取材した水産加工業者から復興状況を聞き、さらに石巻に足を伸ばし、市街を散策した。未だ瓦礫が積まれ、あちこちに「津波浸水深」と表示された看板を見つけることができる。改めて津波の恐ろしさを知った。震災のときは1時的に避難場所になったという、漫画家の故・石ノ森章太郎さんの漫画館に行った。石ノ森章太郎ファンの70代の男性は、私の横で呟くようにいった。
 「人間は仮面ライダーにはなれないしなあ・・・」
 5年が過ぎても復興への道は険しい。

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